イスラム過激派が世界に匕首を突きつけている。
とりわけ今月7日にパリで起きた仏紙「シャルリー・エブド」テロ事件は世界を揺るがせた。あの事件はフランスが舞台だったが、日本も無縁ではなかった。なぜなら、あの事件の本質は「表現の自由」に関わる問題だったからだ。
産経によれば、もともとテロ犯人の兄弟に影響を与えたのは、11年に死亡した米国出身のイスラム教説教師だったとされる。生前、説教師がジハードを訴えた映像がネットで拡散。その映像に兄弟も触れていたとされる。
ネットと紙の差こそあれ、メディアがきっかけとなり、暴力がメディアに向かった構図と言える。
襲撃されたシャルリー側は事件後、表現の自由を盾に対抗した。ムハンマドを風刺した表紙の同紙は、通常3万部のところ、700万部まで増刷して発行された。記念買いまで生み出す騒動になっていた。
この事態に、いくつかの地域ではイスラム教の信徒が不満や憤りを表明し、暴動まで起きた地域もある。
この事件が悩ましいのは問題の根っこが単なる暴力だけでなく、表現の自由に根ざしているためだ。
兄弟はシャルリー紙がムハンマドやムスリムをバカにしたという理由で憤り、犯行に及んでいた。このテロに対抗し、シャルリー紙はまたきつい風刺でお返しした。その結果、ムスリム社会でまた反発が起きた。戦争では恒例の、仕返しのらせん階段が敷かれつつあるのだ。
確かに同紙の風刺はきついものが少なくない。毎日によれば、同紙は日本もネタにしている。東京五輪決定後、福島原発事故で揺れた日本をからかい、腕と足が3本ある力士を描き、相撲も新しい競技種目になったと皮肉った。描かれる当事者にとっては、憤慨しても不思議ではない表現をしてきたのが同紙なのだ。
フランス全土で370万人が参加したという史上最大の追悼デモ行進があった翌12日、最初にシャルリー側への異論を記したのは、読売だった。
過度な自由貿易への懸念で知られる仏人口学者のエマニュエル・トッドは読売のインタビューに応じ、「ムハンマドやイエスを愚弄し続ける『シャルリー・エブド』のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う」と語った。
日がたつにつれて、こうした冷静な声が広がってきた。16日にはローマ法王も「表現の自由には限界がある」と一定の配慮を求める記事も出た(朝日・AP)。フランス市民も一枚岩だったわけではない。仏日曜紙の世論調査ではムハンマドの風刺画を掲載することに42%の市民が反対していると報じた(時事・AFP)。
こうした傾向は「表現の自由」原理主義者にとっては、信じがたい動きなのかもしれない。だが、歴史を振り返ると、表現の自由にはもともと制限があった。近代における自由は、フランス革命時のフランス人権宣言(1789年)に確立されたが、この宣言の中で自由は第4条にこう規定されている。
〈自由は、他者を害することのない、すべてをなしうることに存する〉
「他者を害さない」という条件が自由にはあるのだ。
ただし、無害を重視するあまり、皮肉や風刺を言えないような社会もつらい。風刺を許容し合える関係作りが必要ということだろうが、国境や宗教を越えて、その関係性を構築できるだろうか。それもまた表現の問題である。
◆プロフィール 森健(もり・けん) 68年生まれ。各誌でルポを中心に執筆。企画・取材・構成にあたった「つなみ 被災地のこども80人の作文集」「『つなみ』の子どもたち」で、被災地の子供たちとともに、第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。