1月9日、元朝日新聞記者の植村隆氏が、週刊文春と東京基督教大学の西岡力教授を名誉毀損で訴えた。その記者会見は、何とも苦さが残るものだった。
植村氏は長く朝日の従軍慰安婦問題の一翼を担ってきた人物だ。1991年に2度朝鮮人従軍慰安婦の記事を執筆。92年4月の月刊文藝春秋の記事で西岡氏に批判されて以来、この問題では注視されてきた。
批判される根拠はいくつかある。植村氏が報じた金学順の記事で「強制連行」という明確な言葉ではないが、「騙されて慰安婦にされた」と誤解を招く表現があったこと、彼の義母が慰安婦の関係団体に所属していたこと、彼女がキーセン学校にいたことにあえて触れなかったことなどだ。
だが、今回の提訴の直接の原因は昨年1月末発売の週刊文春だった。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という記事で西岡教授が植村氏を「捏造記者」と批判した。
それ以降、不特定多数の何者かが植村氏を誹謗中傷したり、就職予定だった大学に脅迫メールを送って就職を妨害したりと、実害が及ぶようになった。そのうえ子供の写真や名前、自宅の電話番号などまでネットにあげられることになった。「売国奴」「自殺するまで追い込め」といった記載をネットで目にすることも多くなり、植村氏は決断し、訴訟を起こしたのである。
仏「シャルリー」テロ事件の直後で紙面が割かれる中、植村氏の提訴はベタ記事扱いだった。紙面を多く割いたのは朝日と産経。朝日は第三社会面に5段で載せて静かに援護し、対する産経はベタ記事とは別にオピニオン欄を立て「言論の自由に反している」と批判の論調を展開した。
植村氏が憤る矛先は、西岡氏および週刊文春と一般社会の2つある。後者の脅迫のような卑劣なふるまいは許されるべくもなく、法的な対応も必要だろう。
前者について彼の言い分も一理ある。当時、女子挺身隊と慰安婦を混同していたのは他紙も同じ。92年当時のそんな状況は西岡氏も指摘している。にもかかわらず、今は自分だけ批判を絞るのはおかしいという植村氏の指摘はもっともだ。
一方、この問題をさまざま読んできた立場から言えば、植村氏にも問題があるという思いを禁じえない。
先月発売の月刊文藝春秋一月号は27ページを費やして植村氏の手記を載せた。そこで彼は彼なりの言い分を記し、会見で述べたような主張を訴えた。だが、自身に不都合なことは書いていない。
なぜ掲載前にしっかりと客観的な裏取り取材をしなかったのか。時間がたつ中で取材対象者の証言が揺らいで疑義が発生した際、なぜ再取材しようとしなかったのか。問題が広く認知されていく中で、なぜ放置し続けたのか──。
こうした問題を不作為で放置した。それこそが彼の最も罪な部分だろう。そうして時間がたつ間に、沈黙する彼に反発する形で稚拙な右勢力が増えていったからだ。月刊文藝春秋の手記の終盤に彼はこう記している。
〈ふり返って気づいた。私は慰安婦問題に距離を置いていた〉
言い訳めいたよそよそしい記述だ。長年朝日に所属していながら、社会の大きな変化に気づいていなかったわけではないだろう。
こうした記述が信頼を損なうことに、なぜ彼は気づかないのだろうか。そして、元記者でありながら、なぜ言論には言論で「応えなかった」のか──。
◆プロフィール 森健(もり・けん) 68年生まれ。各誌でルポを中心に執筆。企画・取材・構成にあたった「つなみ 被災地のこども80人の作文集」「『つなみ』の子どもたち」で、被災地の子供たちとともに、第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。