バルセロナ五輪(1992年)で銀メダルを獲得した元柔道家で、のちに総合格闘技、プロレスの道に転身した小川直也が自身のYouTubeチャンネル〈小川直也のハッスルチャンネル〉で、「暴走王」の異名を取った「1.4事変」を振り返った。
1999年1月4日、プロレス史における事件とまで呼ばれるようになったそれは、新日本プロレスの東京ドーム大会で行われた「橋本真也VS小川直也」戦。試合が始まるなり、小川が殴る蹴るのセメントを仕掛け、橋本は膠着状態に。
エプロンに逃れようとした橋本の顔面を蹴りつけるなど、小川の暴走はなおも続き、試合はノーコンテストに。「これはプロレスか」と物議を醸したものだ。小川が言う。
「あんなことができるのはさ、それなりの戦略を練った将軍がいて、それに仕える人もいっぱいいて…」
そして、
「2人が他界しているわけじゃない?」
武藤敬司、蝶野正洋と共に「闘魂三銃士」として名を馳せた対戦者の橋本は、脳幹出血を発症して、横浜市内の病院に緊急搬送。2005年7月11日に40歳の若さで他界した。また、当時の総合プロデューサー、アントニオ猪木も2022年10月1日、心不全で亡くなっている。
小川は自身の暴走を、単独の判断ではなかったとして、こう続けた。
「オレの師匠がいつか言うのかなって思ったら、それもなく…。師匠の名誉にかけても、語り継がなければいけないのかって思いもあるんだよ」
最期まで「我関せず」を貫き、プロレス界を演出した猪木は、あの世で何を思うか。
(所ひで/ユーチューブライター)