そして、16年前の一戦とは、99年1月4日・新日本プロレスの東京ドームで組まれた小川直也vs橋本真也のことである。
小川はアントニオ猪木が率いた新団体「UFO」のエースとして新日本に乗り込む。試合前から漂っていた不穏な気配は、開始ゴングとともにあらわとなった。
小川は左ストレートや右のジャブを橋本の顔面に入れて、さらに馬乗りになってパンチを叩き込み、後頭部に蹴りを入れるなど暴走。試合がノーコンテストに終わると、小川はマイクを持って、
「おいおい、もう終わりか。新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」
当時、新日本の取締役として数々のビッグマッチを実現させた永島勝司氏が“舞台裏”を明かす。
「あの試合は、厳密にはガチンコじゃないよ。小川が仕掛けたわけじゃないんだから」
その黒幕は──やはり、猪木であった。同じ日に猪木が毛嫌いする大仁田厚が参戦することにも腹を立て、小川に「そういう試合をしろ」と耳打ちした。
「それでも、小川は完全なガチンコには走っていない。橋本の腕を取っても、伸ばして極〈き〉めるとこまではいってないんだから。試合後に電話で話したら、小川も完全なシュートは否定していたし」(永島氏)
永島氏の目には、橋本が勝手におびえただけと映った。また猪木にコトの真相を問いただすと、意外な反応だったという。
「猪木会長は『小川があそこまでやるとは思っていなかった』と困惑していたね。そうした食い違いはあったけど、あの遺恨がビジネスとして成り立ったのは事実だよ」(永島氏)
2人は再戦を経て、タッグ結成という意外な展開を見せた。
さて、仕掛人である猪木にも“ガチンコ伝説”は数多いが──、
「1つ選ぶなら77年12月8日、蔵前国技館におけるアントニオ猪木vsグレート・アントニオですよ」
そうターザン氏が、絶賛する理由とは?
猪木と対戦したグレート・アントニオは、力道山全盛時代の61年に初来日し、満員のバス3台を引っ張る怪力デモンストレーションで注目を浴びた。
「ただし、巨体なだけでレスラーとしての実力は低い。とはいえ、国技館という大会場で、メインに呼んだ相手の顔面をボコボコに蹴って戦意喪失に追い込むんだから、猪木さんにしかできない芸当」(ターザン氏)