世界にはいわゆる「呪われた絵」と称するものが、数多く存在する。それがどんなものか、いかなる由来があるのかなど、目にした人もいることだろう。
ではその中で、超弩級のブツとは何か。「世界一呪われている」という伝説を持つ絵画、それがマリー・デルフィーン・ラローリーという女性貴族を描いたものだ。
楕円形の画面にモノトーンで描かれているのは、大きな袖のある服を着て微笑む、ひとりの女性。背景が黒一色のためか、いくぶん暗い印象を受けるものの、その絵にまつわるエピソードを知らなければ、ごくありふれた絵画に見えることだろう。
だが恐ろしいことに、この絵画を見た者はほぼ間違いなく体調に異常をきたし、精神が錯乱状態に陥る者も少なくない。現在は誰の目にも触れないよう厳重に保管され、所有者すら不明だという。
では、なぜこの絵を見ただけで、そんな現象が現れることになったのか。その理由を知る超常現象研究家が解説する。
「ラローリーという女性は1787年3月、米ニューオーリンズの裕福な家庭に生まれました。その美貌により社交界では知られた存在で、3度の結婚経験がある。離婚に際し、莫大な資産を手にしました」
ところが1834年4月、彼女が住む邸宅で、大規模な火災が発生。数多くの消防隊員が駆け付ける騒ぎになった。
「その際、ひとりの黒人奴隷が必死の形相で邸宅から飛び出してきて、助けを求めました。消防隊員が屋根裏部屋に上がると、そこにはこの世のものとは思えない、地獄の光景が広がっていたというんです」(前出・超常現象研究家)
消防士たちが目にしたのは、黒人奴隷7人の死体だった。しかも全てが残虐に切り刻まれ、天井から吊るされたものは皮を剥がれていた。床の穴から突き出した死体は完全に腐敗した状態で、床には手足が散らばっていたという。
奴隷の多くには鉄製の首枷がはめられ、背中には鞭で打たれてできた傷が無数に確認できた。この惨状から、ラローリーが日常的に趣味として、残虐な拷問を行っていた実態が白日のもとに晒されることになったのである。前出の超常現象研究家が「その後」を明かす。
「当時のアメリカでは奴隷使用は合法でしたが、この常軌を逸した事件はアメリカ社会に大きな衝撃を与えました。群集がラローリー邸を取り囲む騒ぎになり、彼女は秘かに逃亡してフランスのパリに渡った。そして1842年に死亡したといわれます」
残虐事件の現場となった邸宅はその後、アパートに改築されたが、その際、剥がされた床板の下からは、生き埋めにされたと思われる奴隷の死体が75体も発見された、という記録が残っている。屋根裏部屋の死体と合わせて82人とは、言葉も出ないほどだ。
時は流れて1997年、何を目的としたのかはわからないが、このアパートを所持していた人物が、画家にラローリーの肖像画を依頼。すると当然のように、幽霊を見たり、鞭の音や叫び声を聞くなど、アパート内で次々と恐怖現象が出現したのである。
ちなみにこの事件は、「密室殺人」を得意とするミステリー作家、ジョン・ディクスン・カーの小説「ヴードゥーの悪魔」のモチーフになっている。興味があれば、読んでみても…。
(ジョン・ドゥ)