「最初に体調を崩して、思い切り仕事をキャンセルしたのは、19歳。初めて産婦人科になんとなく行っておこうって。アメリカの人って初潮の時くらいから行くけど、私は行ってないなと思って行ったら、いきなり卵巣嚢腫が見つかって。いきなり手術ってなって…」
今年デビュー25周年を迎えた宇多田ヒカルが4月13日に出演した「with MUSUC」(日本テレビ系)で、MCの有働由美子アナとのやり取りの中で、こんな衝撃的な告白をした。19歳で卵巣嚢腫の手術を受けていたというのだ。
宇多田によれば、当時(2002年)は、アルバム発売を控えていた時期であり、
「明日、ビデオの撮影もあるし、テレビもあるし、えっ?えっ?って。すぐやんなきゃダメってなったから、体調崩しちゃって、生放送のテレビとか出られなくなっちゃって」
術後はしばしの休業を余儀なくされたが、
「細かいこと言わないで、そっと休みたい気持ちがあったんですけど。でも、仕事をキャンセルした理由を発表しないといけなくなって…。ただ発表したら『そういうことを知りました』という女性がいたり、体に異変があった女性の気持ちがすごくわかったし、それがいちばん最初に感じた印象的なことですかね」
当時の複雑な思いを振り返ったのだった。
2002年は、彼女が最初の夫・紀里谷和明氏と結婚した年だ。翌2003年9月7日には、紀里谷監督の映画「CASSHERN」の製作発表記者会見が東京・六本木のグランドハイアット東京で行われた。
「宇多田さんの参加もありうる?」との質問に、紀里谷氏はこう答えた。
「彼女は撮影中も暇な時は現場に来てくれて、精神的に支えてくれました。僕たちはできる限り一緒にモノを作りたいと話しているので、今後、考えていきたい」
楽曲提供を含め、仕事においても良きパートナーであることを強調したのである。
だが実際には、夫婦としては難しい部分があったのだろう。レコード会社関係者によれば、
「彼女の左側卵巣に直径5センチ程度の嚢腫が見つかったのが、2002年4月。ちょうど『プレイ・ボール』のレコーディング中でした。手術で左卵巣を全摘出したものの、治療薬の副作用で頭痛や体のほてり、精神不安など、更年期障害と同じような症状に悩まされているようでしたからね。肉体的にも精神的にも相当厳しい時期だったことは間違いないでしょう」
そんな中でも、周囲からは「子供はまだ?」と聞かれ、
〈それって、すごく具体的に他人の性生活のことうかがってない? なんか妙なプレッシャーを感じる〉
と、複雑な思いを公式サイトに綴っていた。
結局、2人は2007年3月3日に離婚を発表。その後、8歳下のイタリア人男性と電撃再婚し、男の子の出産を明かしたのは、1年5カ月後のことだったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。