知的でキレ味のある弁舌で人気者だった、元タレントの上岡龍太郎が肺ガンと間質性肺炎のため亡くなってから、5月19日でちょうど1年になる。
上岡は1960年に横山パンチの芸名で、横山ノック、横山フックとともに「漫画トリオ」でデビュー。だが、1968年にはノックが参議院議員選挙に出馬。それを機にトリオは活動を休止した。
その後のテレビ等での活躍ぶりは説明するまでもないが、そんな上岡が突然、記者会見を開く。芸能生活40周年となる58歳の誕生日、3月20日に芸能界を引退すると発表したのだ。2000年2月のことだった。
だが当初、在阪芸能マスコミ関係者の間では「いよいよ次は政界進出を狙うのでは」との声が多く、
「横山ノック大阪府知事が『身の下事件』で進退問題が取り沙汰される中での引退宣言ですからね。実際に1992年の参院選では社会党などから、大阪選挙区での立候補の打診がありました。ノック氏の後任として大阪府知事に立候補するのでは、あるいはかつて出馬して落選した弁護士の父の敵討ちで、翌年2月の京都府知事選挙に出るのでは、とみる関係者がいたのも事実です」
しかし、そんな騒動を尻目に、本人は記者会見でこう言った。
「この世界でデビューして丸々40年になるわけで、定年ですかね。(妻からも)このへんで無罪放免、御赦免船に乗って。いよいよ、あと何年あるかわかりませんがね。もう60年ですから」
引退後はアメリカへ1、2年ほどゴルフ留学する予定だと明かすと、
「老後を楽しく過ごすために、ゴルフがうまくなりたい。ついては、アメリカに行ってゴルフスクールに入っていれば、ランニングもできる。これが最大の目的です。だから、老後を元気に楽しく面白く過ごすためには1年間、修行をすると…」
むろん、渡米の際には夫人も同伴で、
「僕の生活は、妻なしでは考えられませんから」
実に愛妻家な一面をのぞかせていた。
これ以降、大方の予想を裏切り、宣言通りに表舞台から姿を消していた上岡。それが久しぶりに公の場で見事な名話芸を披露したのが、2007年6月7日、大阪市内のホテルで行われた、故・横山ノック氏のお別れ会「横山ノックを天国へ送る会」だった。
静まり返る会場。壇上で弔辞の挨拶に立った上岡が静かに、けれど思い込めて故人に語りかける。
「ノックさん、あなたは僕の太陽でした。あなたの熱と光のおかげで、僕は育ちました。あなたの温かさと明るさに包まれて生きてきました。ノックさん、あなたはみんなの太陽でした。(中略)漫才師から参議院議員、大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。(中略)芸人を送るのに涙は似つかわしくありません。どうか不世出の大ボケ、横山ノックを精一杯の笑顔と拍手で天国に送ってやってください。ノックさんに献杯」
そんな上岡が盟友であるノックのもとに旅立ったのは、16年後。81歳だった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。