衝撃事件の生々しい真相が、直接本人の口から語られる──。それも、記者会見ならではの特徴かもしれない。
95年5月22日夜、映画「ミンボーの女」を公開したばかりの伊丹十三監督が、自宅近くで3人組の暴漢から鋭利な刃物で襲撃され、重傷を負った。
翌23日、妻で女優の宮本信子が、東京・有楽町の東宝本社8階で緊急記者会見に臨んだ。
「伊丹は血まみれになって家に入ってきたのですが、家族に『落ち着け!』というほど冷静で…。救急車の中でも私がパニックにならないよう、私や家族のことを心配してくれました。私の手を握って『警察が守ってくれるから、心配するな。僕も守るから』と。警察に全てお任せしています。ただ、死ななくて本当によかった、というのが今の心境です」
必死に嗚咽を堪え、気丈に語る彼女の姿に、妻としての強さと夫婦の深い絆を感じたものだ。
「ミンボーの女」は、暴力団の民事介入暴力に敢然と立ち向かう、女性弁護士の物語。折しもこの年は「暴対法」が施行されたことで、警察当局が世論を追い風にし、暴力団壊滅に向けて動き出していた。そうしたこともあり、関係者に与えた衝撃は大きかったのである。
さて、伊丹監督が入院先の東京女子医大を退院し、東宝本社で記者会見に臨んだのは、事件から1週間が経過した5月30日だ。会場では主催者が記者、カメラマンそれぞれに身分証明書の提示を求め、入場の際には報道関係者ひとりひとりが「身分チェック済み」を示す、ピンクのリボンを胸に付ける、という徹底ぶりだった。
そんな厳戒態勢の中、宮本に付き添われて登場した伊丹監督は右手で杖をつき、頬にはテープ、頭にネットの包帯をかぶるという、なんとも痛々しい姿。抱きかかえられるように席に着くと、
「(妻が)110番している間も、血がピチャピチャと音をさせながら、とめどなく流れて、マンホールほどの大きさの池になった」
当時の生々しい様子を語り始めたのである。そして、
「体そのものにダメージはないが、心臓に持病があり、ケガのショックで心臓にきている」
ただ、「映画を作っている時は、極道のプロなら襲ってこないだろう、という確信があった」そうで、
「今ですか。怖いのかどうかわからないけど、きっとこれから街をひとりで歩いたり、大勢のグループがいたら恐怖を感じるかもしれませんね」
恐怖の瞬間を語る伊丹監督の言葉もさることながら、会見の最中、監督に水を手渡したり扇子であおぐなど、終始気遣いを見せる宮本の姿に「夫唱婦随」を見たのだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。