夫婦揃って離婚会見を行う場合、「慰謝料なし」などと、いくら笑顔で「円満」をアピールしても、ちょっとしたぎこちなさから、2人の間にできた埋められない溝が見え隠れするケースがある。
94年2月7日、21年間の結婚生活にピリオドを打った千葉真一・野際陽子夫妻の離婚会見もその1つだったように思う。
2人はTBS系ドラマ「キイハンター」での共演をきっかけに1968年に結婚。エーゲ海を走る豪華ヨット上で行われた挙式で千葉が語った、「太陽をギリシャ神話に見立てて、朝日に向かって愛を誓い合った」との感動表現は、当時、大きな話題を呼んだ。
その後、千葉はレストラン経営や、アクション俳優養成のためのJAC(ジャパン・アクション・クラブ)を設立。さらに、念願だった米国に進出し、ロサンゼルスに事務所を構え、アクション映画監督としても仕事に邁進した。
一方、野際もTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で「冬彦さん」の母親を演じて以降、新しい母親像を構築、家族ドラマには欠かせない存在として、ドラマや映画に引っ張りだこという状態だった。
つまり、2人にとっては、世にいう「熟年離婚」成立のお膳立ては既に揃っていたというわけだ。
150人の報道陣が詰めかけた会見場に、千葉は黒ずくめ、野際は濃紺のスーツ姿で登場。口火を切った千葉は、「2週間ほど前に彼女から申し出があり、映画バカな私が夢を追いかけ、家庭を振り返ることが出来ず、彼女にそんな思いをさせてしまったことを申し訳なく思い、その申し出を了承しました」と神妙な面持ちで説明した。
野際は、「2人で暮らす時間がない生活に慣れてしまい、夫婦である感覚が薄くなってしまった。妻に向いていないんじゃないと思いました」と語ったが、その表情からは、自身の選択に間違いはなかった、という強い意志が感じられた。
とはいえ、例のごとく最後まで「憎しみあって別れるわけではないので」(千葉)、「別れではなく、新たな出発」(野際)と円満ぶりをアピールした2人。
しかし、会見が終わり、退席する際、野際の腰に回す千葉の手つきは、ド素人の芝居以上に遠慮がちでぎこちなく、それがこの会見でのきれいごとの裏に潜む、深く、重い現実を如実に物語っていた。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。