テリー その時、ご両親は反対しなかったの?
小林 父は元々歌手に憧れてたから、もう直立不動で「はい!」って(笑)。でも母は大反対。
テリー どうして?
小林 だって私、3番目の末っ子で、まだ9歳でしたもの。
テリー そりゃ、そうか。でも、古賀さんっていったら伝説の人だからね。
小林 伝説です。それで古賀先生のところからデビューすることになったんですけど、実はもうひとつあって。渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)からスカウトされてたんです。
テリー ええっ!? あ、そうなの。ナベプロだったら全然変わってたね。
小林 そう思います。だから「あの時、もし渡辺プロに行ってたら、私は今どうなってたんだろう」って思う時はあります。
テリー あの頃のナベプロってザ・ピーナッツはいるし、クレージーキャッツや三人娘もいて全盛期だよね。そうなると、多分、洋楽のカバーとか歌ってたよね。
小林 そうかもしれない。そうしたら、私はもういないかも。
テリー いや、いなくはないと思うけど(笑)。でも、「おもいで酒」に出会えたかどうかは。
小林 わからないですね。
テリー デビューが10歳で、「おもいで酒」のヒットが15年後でしょう。200万枚でしたっけ。
小林 200万枚です。
テリー そういうのって「あ、これはヒットするな」って自分でわかるんですか。
小林 わかりますね。それまで「売れてる」とか「この歌すごいね」とかって全然言われたことがなかったのに、あっちこっちの有線放送で1位になりましたから。でも、最初はまったく信じません。事務所から「1位になったぞ」って電話が来ても、タイトルに「お酒」が付く演歌って多いじゃないですか。「だから私の歌じゃない」って。
テリー アハハハハハ。
小林 そうしたら「自分で有線放送の事務所に電話してみろ」って言うわけ。しょうがないから電話したんです。「もしもし、1位の曲、何ですか?」って聞いたら、「おもいで酒」って言うじゃありませんか。びっくりしちゃって。でもね、同じタイトルの曲を違う人が歌ってるかもしれないからと思って、「誰が歌ってますか?」って聞いたら、「小林幸子です」って、私の名前を言うんですよ。
テリー そりゃそうだ(笑)。
小林 それでまたびっくりして。「あれ?」と思ってるうちに、いろんなところで1位になり始めて、点が線になって、線が立体的になって、あっという間に有線総合で1位になったと思ったら、今まで入ったことがないオリコンでも順位が上がってきて、びっくりしましたね。
テリー あの頃は新曲が出るとキャンペーンで地方へ行ったりしたでしょう。お客さんの反応は?
小林 全然違いますよ。それまでは「集まってください、集まってください」「今からレコード屋さんの前でキャンペーンやりますから」って声かけて、やっと10人とか15人ぐらいが集まってくれるんですね。で、そこで歌うんですけど、歌詞カードを渡して、「今から即売会やるんで買ってください」って言うと、みんなサーッといなくなっちゃうんです。でも、それはこっちが一方的に「集まってください、買ってください」って言って、「いりません」って言ってるだけだから、別にいいんです。ただね、歌詞カードが捨てられてるのが、ちょっとつらかったですね。
テリー ああ。
小林 で、そのままにはできないから自分で拾って。その時に、「ああ、売れないってこういうことなんだな」と。でも、「おもいで酒」のおかげで「集まってください」から「押さないでください」に変わりましたから。ヒットするってこういうことかと思いましたね。
ゲスト:小林幸子(こばやし・さちこ)1953年、新潟県生まれ。1964年、10歳の時に「ウソツキ鴎」でデビュー。1979年、「おもいで酒」が200万枚を超える大ヒット。2013年にはニコニコ動画で歌ってみた動画を投稿するなど活動の幅を広げ、ネットユーザーなど若者からも多くの支持を集める。近年はYouTuberとしても活動し、YouTubeチャンネル「小林幸子はYouTuBBA!!」開設中。7月24日、新曲「オシャンティ・マイティガール」発売予定。8月1日(木)・2日(金)には「小林幸子60周年記念公演 in 新橋演舞場 ~ラスボスのキセキ~」が開催される。