身請けされた大名に指1本触れさせず、斬殺された花魁がいる。花魁とは超高級娼婦のことであり、2代目「高尾太夫」がその悲劇のヒロインだ。
吉原にある妓楼・三浦屋の「高尾太夫」というのは、最高の花魁のみが名乗ることを許される名称で、11代まで続いたとされている。容姿が優れているだけでは、これを名乗ること許されない。2代目「高尾太夫」はのちに仙台高尾と呼ばれ、和歌などにも通じた才媛、才女だった。
そんな彼女は、3代目の仙台藩主だった伊達綱宗に見初められた。綱宗は酒食に溺れて藩政をないがしろにした暗愚な藩主であり、万治三年(1660年)に21歳で幕府から隠居させられた人物だ。
そんな綱宗が、高尾太夫の身請け話を持ち出した。彼女はお金を積むしか能がない客を嫌っていた上に、将来を約束した島田重三郎という人物がいた。そのため、執拗に口説いてくる綱宗に対して「4000両(現在の価値で5億円)の身請け金を払えるならば」との条件を突きつけた。1両の重さは約17.85グラム。4000両は70キロを超える。
高尾太夫にすれば、さすがに4000両という大金は払えない、と思ったのだろう。ところが綱宗は本気だったようで、この条件を飲んだ。花魁は基本的に、売り物買い物の立場にある。渋々、身請けされることになったが、恋人を忘れることができず、綱宗には指1本触れさせなかった。
5億円も使いながら指1本触れられないことに、綱宗は当然ながら激怒した。高尾を幽閉して1日ごとに指1本を切断しながら、関係を持つように恫喝した。それでも高尾は触れられることを拒んだ。そのため、逆さに吊るされ、斬殺されたという。
一説には、身請けされて隅田川を下っていく途中、高尾が身を投げようとした、とも。その行動に激高した綱宗が船から吊るし、惨殺してしまったとの話もある。この高尾太夫の悲恋は人々の涙を誘い、歌舞伎でも演じられ、今も語り継がれている。
(道嶋慶)