拘束後は取り調べというより拷問ですよ。2日、3日と一切寝かせてくれないんです。「どうせ死刑だ」と思ったらバカバカしくなって、出された食事を蹴飛ばしては、刑事たちに殴る蹴るの暴行を受けました。何より気がかりだったのは、シャブの件で組織や親分に迷惑がかかること。だったら余計なことをしゃべらずに、このまま自決しよう、餓死してやろうと思って、何を出されても飲まず食わずで過ごしたんです。
そして12日が経った7月29日、日本領事館の職員が、組織からの伝言を持って面会にやって来たんです。さすがに職員の前で「親分」とは言えないから、
「渋谷の初台にあるマツダさんの会社の社長はこう言っています。『弁護士を頼んで死刑にはならないようにしてやるから頑張れ。安心して帰ってこい』と」
それを聞いて、涙が出ました。生きる望みというか、気力が湧いてきたんです。何か食べなくては‥‥と思って12日ぶりにコーヒーとビスケットに口をつけたら、体が拒絶反応を示したのか、胃が痛くなった。点滴を打っても痛みが取れず、シャバの病院に連れて行ってもらいました。
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日本において、被告人は裁判で判決が下されるまで「未決拘禁者」として拘置所で過ごす。おおむね個室があてがわれ、日用品も自由に使えるなど、刑務所と比べれば、自由度は高い。しかし、中国の事情はまったく違っていた。
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はっきり言えば動物園の檻ですよ。四方は鉄格子で囲まれ、床は剝き出しのコンクリート。そこに薄っぺらいシートを敷いて自分の衣服を丸めて枕にして寝ていました。
中国には入国管理局がないので、密入国で捕まった連中も看守所にバンバン送り込まれるわけです。アフリカ人やベトナム人もいて、一番多い時で30人がすし詰め状態。こうなると寝るのも一苦労で、体をまっすぐにしても腕と腕がぶつかり、寝返りも打てない。看守所がある珠海は、中国でも南の方ですから、真夏は40度近くに達する。湿度も日本並みで1年目と2年目は汗疹に苦しむ日々でした。背中に4桁の数字がプリントされた黄色のチョッキを着るのがルールでしたが、みんな暑くて素肌の上に着用していました。
檻の中のトイレは約1.5メートル四方のスペースで、日本の和式のような便器が床に設置されていた。用を足した後は、すぐそばに置いてあるバケツの水で流します。トイレの壁からは塩化ビニル管が伸びていて、水が出るのはここだけ。つまり、トイレの水ですべての生活を賄っていたのです。食器を洗うのも、体を洗うのも、朝に歯を磨くのもトイレの水。だからみんなトイレはキレイに使っていました。