マツダ氏の生活を金銭面で支えたのがヤクザの絆だった。現地警察に拘束された後、組長が裁判費用の1000万円を現地へ送り、「死刑確実」と言われた裁判で、懲役15年に〝減刑〟させた話は前号で書いた。支援はその後も続いていた。
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支援がなければとっくに死んでいました。血圧や糖尿の薬だって、わざわざ日本から送り続けてもらったのですから。実は11年前に親分が亡くなってしまい、手紙で訃報を知った時は、悲しくて言葉も出ませんでした。ただ、組長付のヤスがその遺志を継いでくれて、以来、出所するまで欠かさずに金や持病薬、日用品を送り続けてくれたんです。周囲は不思議で仕方なかったでしょうね。家族でもないのに、異国の監獄にいる私に送金し続けてくれたんですから。いくら説明しても理解できない人にはこう答えたものです。「俺とヤスは一緒に親分の背中を見てきたから。それが答えだよ」とね。
金さえあれば衣類やタバコ、食料品など、欲しいものは何でも買えた。しかし、外部から援助が受けられずに困窮する外国人受刑者の中には、盗みに手を染める者もいたという。
中国の監獄にも刑務作業があり、1日9時間、雑工場でみっちり働かされました。日本と同じく作業賞与金が支給されますが、その額は1カ月50元。日本円で約850円(当時)ですよ。タバコを1カートン買ったら何も残りません。
カラオケ大会に出場したのは忘れられない思い出で、歌ったのはテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」。1番の歌詞を中国語で、2番を日本語で歌ったらこれがウケて、みごと優勝。賞品でタバコ2カートンに即席ラーメン2箱、リンゴ2箱をもらいました。
舎房の班長に指名されたのは刑務所に入って2年目のこと。実は中学生の時に英検2級に合格し、この頃になると中国語はペラペラ。塀の中はとにかく多国籍だったので、担当刑務官は3カ国語が話せる通訳として私を重宝してくれたのです。おかげで約9年間の監獄生活で、一度も懲罰を食らうことはありませんでした。懲罰房では28 日間、手足を鎖でつながれたまま過ごすので、シャワー、洗顔、歯磨きもできない。食事は白飯だけで、オカズを買うことはできない。ガリガリにやせ細った体で懲罰房から出てくる受刑者を何人も見ました。
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刑務所の懲罰事案といえば、喧嘩や物品の不正授受などが思いつくが、中国の監獄ではいたるところに〝罠〟が張り巡らされていた。
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日本では信じられない話ですが、男性の受刑者がいる監獄で、女性の刑務官が普通に働いているんです。実は中国で刑務官といえば高給取りの超エリート。上流階級の人間ですから、とにかく美人が多かったですね。旧正月の春節はお祭りムード一色で、横浜の中華街のように厄払いの爆竹が鳴り響き、塀の中を獅子舞が練り歩く。そんな中、女性刑務官はチャイナドレスで業務を行うんです。目の保養? とんでもない。彼女たちに目をつけられ、機嫌を損ねたら容赦なく懲罰ですよ。
気をつけたいのは〝国宝〟のパンダ。中国でパンダの悪口は絶対にNG。「日本に連れて帰りたい」なんて冗談でも口にできません。