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過酷な環境に身を置く中、逮捕翌年の11年4月に、ようやく初公判を迎える。なお、前述した日本人の共犯者Aは後に死刑が確定。台湾人には懲役15年の判決が下された。
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自分と一緒に拘束されたもう1人の日本人Bにも死刑判決が出ました。実は死刑には3パターンあるんです。ひとつは判決が出てすぐに執行される「立即執行」。病院に連行されて安楽死の注射を打たれるケースもあれば、銃殺もある。この日本人Bは別のパターンで、死刑判決に執行猶予が2年ついた。これからの2年間、刑務所でおとなしく過ごせば無期懲役になり、5年後には25年くらいの有期刑に変更される。3つめが確定から1年後ないし数年後に死刑が執行されるという、日本に近いパターンです。
その点、私は運がよかった。親分がすぐに日本から60万元を送金してくれたんです。当時のレートで約1000万円。裁判長と検察官への賄賂でそれぞれ20万元、弁護士への手数料で20万元。
幸運は重なるもので、弁護士と裁判長が親戚関係で、すべてスムーズにいった。かなりの金を持っていた台湾人も懲役15年。残る2人の日本人は死刑判決。金さえあれば、死刑を回避できる。中国とはそういう国なんです。
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判決が確定しても、すぐに看守所から出られるわけではなかった。普通ならば、マツダ氏は広東省の東莞刑務所に移送されるはずだったが、そこには死刑囚となった共犯者Aが収監されており、「空き」が出るまで檻での暮らしを余儀なくされた。結局、Aの死刑が執行されたのは15年の6月26日。この日は国際禁毒日といって、死刑が一斉に執行されることで知られ、刑務所の確定死刑囚が最も恐れる日なのだという。マツダ氏の看守所暮らしはおよそ5年にも及んだ。
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実は府中(刑務所)で服役する前、前橋刑務所で6年6カ月務めたことがあり、そこでは漢字能力検定1級を取得したんです。大体の漢字はわかったので、最初の頃は筆談で同房の中国人たちとコミュニケーションを取ることができました。
未決でよく覚えているのは、ヘロイン中毒の20代の男。罪状は連続強盗殺人。まず80代のおじいさんの家に押し入って殺害し、次に侵入した家でも80代のおじいさんを殺したんです。いくら盗んだと思います? それぞれたった5000円くらいですよ。たった1万円のために2人も殺すなんて信じられませんでした。その男は判決の日に檻を出て、1時間ほど経ったら看守が「おい、あいつは帰ってこないから荷物を袋に詰めろ」と‥‥。その後、テレビのニュースで死刑が執行されたことを知りました。
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死と隣り合わせで始まった獄中生活はまだホンの序章にすぎなかった。