テリー 猪瀬さんは、招致活動中に奥様を亡くされたんですよね。それをきっかけに、本をまとめられて‥‥。いつ、奥様の病気がわかったんですか。
猪瀬 13年の5月末、国際競技連盟の世界大会で最初の大きなプレゼンをするために、ロシアのサンクトペテルブルクに一緒に行く必要があったんですね。その前日に、少し具合が悪いかなと思って病院に連れて行ったら、そこで余命数カ月を宣告されたんです。
テリー その時の心境は。
猪瀬 青天の霹靂ですよね。それまで健康そのものでしたから。ちょっと言葉がもつれて「あれ?」と思ったのが1週間ぐらい前。でも普通に台所仕事をしたり、僕の仕事を手伝ったりしてましたから。軽い脳梗塞かなと思ったら、MRIで脳にこぶし大の塊があると。
テリー 急な宣告で、奥様はどうされたんですか。
猪瀬 明日旅立つ予定だったわけですから、トランクが2つ並べてあるんですよ。「明日行けないよ。お前さん入院だよ」「え、入院?」と。だから僕が1人で行ってスピーチしたのを、病室のテレビで見てるんです。彼女はそんなに大きな病気だとは思っていないから、帰ってきたら、明るく「よかったわよ」って言ってるわけね。
テリー ‥‥つらいなあ。
猪瀬 手術の前に、一時退院をしてるんです。本当のことはどうしても言えないんで、本人は完全な退院だと思って、4日間家にいて、鼻歌まじりに台所仕事をしてるんです。「良性の腫瘍だったら手術して取れるよ」という説明をして、もう1回入院をした。
テリー 最後はお話しできたんですか。
猪瀬 いえ。進行があまりにも早くて。手術して3日目ぐらいに昏睡状態になって、会話が成り立たなくなった。だから本のタイトルが「さようならと言ってなかった」。
テリー 猪瀬さんにとって奥様というのはどういう存在だったんですか。
猪瀬 一心同体でしたね。いまだに「いない」ということがよくわかっていなくて、朝起きると「ええっ?」となる。心に空洞ができている感じがしますね。
テリー 奥様に、あらためて言葉をかけるとしたら‥‥。
猪瀬 どうだろうね。いろんな会話はしてきたと思う。ただ、もうちょっと奥さんのことを中心に、ゆっくりした会話をすればよかった。
テリー この本は、猪瀬さんと奥様の話と一緒に、昭和を振り返る感じですね。
猪瀬 たまたま僕の話ですけど、読者も同じ昭和の時代を思い出して、自分の回想をしてもらいながら読んでいただけたらありがたい。30~40代の働き盛りで仕事に夢中だった時に、家族の一員としてそれぞれがどういう家庭を作っていたのかなとか。
テリー 流行した歌や事件から、当時の空気を感じられる構成になってますね。
猪瀬 「神田川」とかね。家族が亡くなっても、過ごしてきたすばらしい時間は残ってる。それをこの本の中に定着させておくことによって、供養になるかなと‥‥。そうでないと、忘れていっちゃいますから。