テリー メイコさんの具合が悪くなったのは、お二人で紅白歌合戦を見ている時と伺ったんですけども。
神津 9時頃から紅白を見てましたね。それで、「何か面白くないから寝るわ」って言うんですよ。これNHKに悪いから、あんまり言ってないんですけどね(笑)。若い人の歌になると、ちょっと無理だったんですね。
テリー わかります。僕も大晦日に見るのはテレビ東京ですから(笑)。それでメイコさんはベッドに入られたんですか。
神津 そうですね。結果的には肺塞栓症で亡くなるんですけども、小さな血の塊が肺の血管に入って、血の流れが止まっちゃうんですね。最初は痛いとか苦しいとか、そういう感じじゃなかったんですけども、ただ、何となく変なんでしょうね。それで「ちょっと変だから寝るわ」って言ったらしいですけどね。
テリー なるほど。
神津 ただ、こっちはわからないから1回寝かせたんですね。そうしたらすぐに「お父さん、もう1回起こして」って言うんで、首を手で支えて起こして、ベッドの上で座らせたんです。そうしたら僕の小指に人差し指を引っかけてくるんです。何となく手を握ってる感じなんでしょうね。その指は割と力があったんですよ、しっかり握ってるつもりだったんでしょうね。それが30秒ぐらいでしたね。その間、僕のことを上目遣いで見たり、色々したりなんかしてましたけど、30秒ぐらいしてその指がポロッと落ちたんですよ。それでこれは何か急変したかと思って、すぐに(長女の神津)カンナや(次女の神津)はづきに電話して。
テリー 2人はお近くに住んでるんですか。
神津 2人とも大体10分か15分ぐらいのところですね。それですぐ来て、救急車を呼んでもらって、1時間ぐらいマッサージしてたんですけども、結局戻せないので、そのまま病院へ、レントゲン撮ったりするために行ったんですね。
テリー じゃあ、メイコさんは病院で最期を。
神津 でも医者が言うにはね、ともかく家族の腕の中で死ねることはまずないと。それはお医者さんとしては一番やってほしいんだけど、一番やれないことだと。「それがやれたっていうことは、メイコさん、すごく幸せだった」って泣いてくれたんですよね。僕もそれはものすごくよかったと思ってますけどね。
テリー そうですよね。僕もそのお話をお別れの会で少し聞いた時に、本当に神津さんもメイコさんも幸せな人生だったなっていうふうに思いました。
神津 ついてますよね。
テリー もう亡くなられてから半年が経ちますよね。今まではお二人で住んでいた家に、今はお一人じゃないですか。これはどういう気持ちなんですか。
神津 いや、これはあんまり人に言わないですけど、死んでからしばらくお骨は家にありましたからね。夢遊病者ですよ。何となく家の中を歩いちゃうんです。もう何年か、家の中を彼女の車椅子を押して歩いてましたから、その時みたいに。自分ではやるつもりじゃないんですけどね。
テリー もう、そうやって家の中を歩くのが生活の一部で、習慣になってるんですね。
神津 それで寝る時だけ車椅子から降りますから、その時に必ずお礼を言うんですよね。「やめろって。このぐらいのこと、夫婦で礼を言う必要なんてないんだ」って怒ると、泣きそうな顔するんですけどね。
テリー ああ、何だか切ないな。
神津 僕はね、1月2日が誕生日なんですよ。あの人は、去年の12月31日に死んで‥‥。結婚以来毎年ずっと、夫婦喧嘩した時でも、バースデーカードをくれてたんですけど、「今年はもうないな」「去年が最後だったな」と思って。でも、後になって机の引き出しを開けたら原稿用紙が1枚入ってましてね。ずっと色々書いてあって、「感謝してる」って書いてありましたね。
ゲスト:神津善行(こうず・よしゆき)1932年、東京都生まれ。麻布中学校、国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科卒業。作曲を信時潔氏、服部正氏、トランペットを中山冨士雄氏に師事。中野区の小学校在学中に肺活量の試験があり、1位になったことで、ラッパ隊の椅子が用意されていたことがきっかけでトランペットを始めることになる。交響詩『月山』、小交響詩『依代』などの他、森繁久彌主演の東宝映画、社長シリーズなど映画音楽を303作品担当。『新妻に捧げる歌』『星空に両手を』、美空ひばりの『夾竹桃の咲く頃』などの歌謡曲やテレビ番組のオープニング曲など多数の作曲を手がける。音楽番組『あなたのメロディー』(NHK)では長年司会を務めた。現在は戦後のジャズコンサート再現コンサートの企画、構成、演出や、自身も司会をするなど、精力的に活動を続けている。