今年3月に開かれた「中村メイコさんのお別れの会(乾杯で送る会)」で音楽家・神津善行氏と再会した天才テリー。その時のメイコさんに対する氏のメッセージにいたく感動し、今回の対談が実現した。メイコさんとは公私ともに親交の深かったテリーが、今の思いを聞いた。
テリー 先日は中村メイコさんのお別れの会にお呼びいただきまして、ありがとうございました。
神津 こちらこそ、ありがとうございました。
テリー 実は今日お越しいただいたのは、その時のお別れのメッセージがすごく心に残りまして。「メイコさんがこれから天国に無事に着けるか心配だ」と、そんなことをおっしゃってましたよね。すでにお亡くなりになられてるにもかかわらず、悲しいとかじゃなくて、さらに心配だと。僕、それを聞いて、「すごいなぁ、そういう考え方もあるのかな」と思ったんですね。それで、もっと神津さんとお話がしたいと思って、スタッフにお願いしたんです。あれはどういう思いの中で出た言葉だったんですか。
神津 彼女と結婚する時に親父さんから呼ばれましてね。要するに、小学校の時にいじめられて、なかなか教室に入って、みんなと一緒に勉強できなかったんですね。それでグルグル学校を変えたりもしたんですけど、当時もう子役ですから珍しがって、みんなが見に来たり、色々あったようです。それで教育は、ほとんど親父さんがしたんですよね。例えば、明日、総理大臣と対談だっていう時も何を質問すればいいかっていうのは、親父さんが書いてくれたものをちゃんと見て、っていうようなことを長年やっていたらしいんですね。
テリー へぇ。
神津 親父さんはそういう話を僕にして、「あなたはこれからあの人と結婚するんだったら、それをやってやらないと彼女は困るよ」っていうことで彼女をもらったので。例えば昔、「メイコのごめん遊ばせ」(NET、現・テレビ朝日)っていう番組がありましたね。
テリー ありました。
神津 毎週ゲストが来るんです。だから、次のゲストが決まると僕がプロフィールなんかを全部調べて、「こういうことを聞いたらいいんじゃないか」とか全部レッスンしてたんですね。
テリー それは今ですと、ネットで検索すればわかりますけど、その頃は大変ですよね。それを神津さんが全部やってたんですか。
神津 ええ。
テリー 神津さん自身も音楽家として多忙じゃないですか。そういう中でそれをしてあげたんですか。
神津 そうですね。ただ、今考えますと、恋愛とか何とかというよりも同志ですよね。当時の社会の環境の中で生きていく男女っていうのは、同志でないとなかなかやっていけないところがあって。
テリー はい。
神津 あまり妻だからっていうよりも、「あんたに恥かかせると困るから」「親父さんにも悪いし」っていうようなことで、ちゃんと向こうに行けたかなと、そういう心配をしたということですね。
テリー なるほど。それが、ああいう言葉に。
神津 でも、やっぱり夫婦というよりも、仲間っていう感じの方が強かったですね。
ゲスト:神津善行(こうず・よしゆき)1932年、東京都生まれ。麻布中学校、国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科卒業。作曲を信時潔氏、服部正氏、トランペットを中山冨士雄氏に師事。中野区の小学校在学中に肺活量の試験があり、1位になったことで、ラッパ隊の椅子が用意されていたことがきっかけでトランペットを始めることになる。交響詩『月山』、小交響詩『依代』などの他、森繁久彌主演の東宝映画、社長シリーズなど映画音楽を303作品担当。『新妻に捧げる歌』『星空に両手を』、美空ひばりの『夾竹桃の咲く頃』などの歌謡曲やテレビ番組のオープニング曲など多数の作曲を手がける。音楽番組『あなたのメロディー』(NHK)では長年司会を務めた。現在は戦後のジャズコンサート再現コンサートの企画、構成、演出や、自身も司会をするなど、精力的に活動を続けている。