「毎日呑んで二日酔いにならないんですか?」
酒を欠かさない私はよく聞かれます。もちろん経験はありますよ、東大病院の医局長時代に。
診療は別の医者に任せて、医局長は1日の多くを医局で過ごします。しかし、仕事の範囲は多岐にわたり「外科医が1人欲しい」という依頼があれば自分で応じたりもしていました。
ですが当時は二日酔いで頭が痛い日が多くて、出勤して即、医局のソファに横たわってしまうこともよくありました。でも来客はとだえませんから、私はこんな対応していました。
「先輩、申し訳ないけど私は今、二日酔いで起き上がれません。私、寝転がったままでしゃべるから近くに来てください」
懐が深い先輩ばかりでしたからニコニコしながら話をしてくれましたけど、当時はそんな、後先考えない呑み方をしていましたね。
そんな「若気の至り」をピタッとやめたのは、40歳頃です。33年前、川越市に帯津三敬病院を設立してからは、二日酔いになったのは1回きり。モンゴルで呑みすぎて、北京に移動する飛行機の中で二日酔いになってしまいましたが、以降は経験ナシです。
年齢的に酒量が減ったことも理由です。年とともに呑めなくなる、少し寂しいように聞こえるかもしれませんが、それも成長の一環だと捉えています。
年齢を重ねると、場の勢いや人との掛け合いでやたらと呑むようなことはしなくなるものです。自分がちょうどいいと感じる量でやめられる。結果、本当の意味で酒をたしなみ、楽しめるようになりました。
がぶ飲みをして、酒のいいところも悪いところも知り尽くさないと、自分の適量にはたどりつけません。
「悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」
池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」のセリフです。まさに、人間が生きていく過程と同じなんです。
ただし、私ぐらい酒を呑み続けていると、「健康診断の結果は大丈夫なんですか?」なんて心配されることもあります。ですが、そもそも私は「健康診断」で「大丈夫」ということに懐疑的です。特に、メタボリックシンドローム(以下、メタボ)の定義は、複合的な問題を抱えています。
ちょうどこの言葉が取りざたされた頃、五木寛之さんと対談する機会がありましてね。彼が私の1メートルある腹囲を見ながら、こんな質問をするんですよ。
「このところメタボという言葉が世間をにぎわせていますが、実際のところはどうなんですか?」
私が伝えたのは、「あれはよけいなお世話ですよ」というひと言だけ。勘がいい人ですから、「あぁ、そうですか」で話は終わりました。
医療に詳しくない人がメタボと診断されたら、どうしても気にしてしまいがちです。ですが、毎日腹囲のサイズばかりを気にして、2合呑みたい晩酌を1合にして、やがて死に直面して狼狽する。こんな人生送りたいですか?
◆プロフィール 帯津良一(おびつ・りょういち) 医学博士。東大医学部卒、同大医学部第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、帯津三敬病院を設立。医の東西融合という新機軸をもとに治療に当たる。「人間」の総合医療である「ホリスティック医学」の第一人者。