「苦しくて苦しくて、家の中で物を投げてしまったり、イライラして、それぐらいの状況だったんだけど…」
サッカー元日本代表監督の岡田武史氏が、YouTubeチャンネル〈おじおさんだけど、遊んでもいいですか?〉で、追い詰められた胸の内を明かした。
日本代表コーチだった岡田氏の転機は1997年10月、加茂周監督が更迭され、長沼健JFA会長から急きょ、代表監督就任の依頼を受けたことにある。
フランスで開催されるFIFAワールドカップ(1998年)のアジア予選では苦戦が続いた結果、冒頭のごとき心境に陥ったというのだ。
そんな苦しい岡田氏の心境に変化が起きたのは、イランとのプレーオフが行われるジョホールバル(マレーシア)に赴いた時だったと振り返る。
アジア最終予選グループBで1位なら予選通過となるところ、日本は韓国に次ぐ2位に。グループAの2位イランとのプレーオフで勝利すれば、予選通過が決まる状況だった。
「明日、もし勝てなかったら、日本に帰れない」
そんな電話を妻にかけた数時間後に突然、ある考えが浮かんだ。
「明日、急に名将にはなれない。明日、俺は持っている力を100%出す以外はできない。それでアカンかったら、自分の力が足りないからしょうがない。でも、俺のせいじゃない。俺を選んだ会長、アイツのせいや。開き直り、怖いもんがなくなったよ。村上和雄先生って生物学者の人が『遺伝子にスイッチが入る』って話をよくされてたんだよ。我々、氷河期や飢餓期を越えてきたご先祖様の強い遺伝子を持ってるんだけど、便利、快適、安全な社会にいたら遺伝子にスイッチが入ってない、って言われてるんだよ。俺はあの瞬間、遺伝子にスイッチが入ったよ。そこから自分の人生は変わり始めた」
そうした新たな心境で臨んだイランには3-2で勝利し、日本代表は初のワールドカップ出場を決めた。岡田監督が真のリーダーとして目覚めた瞬間だったのである。
(所ひで/ユーチューブライター)