メジャーリーグ地区シリーズ第2戦、パドレスのダルビッシュ有は、義兄・山本KID徳郁と共に戦っていたのだろう。試合後の記者会見には、山本KIDの顔が描かれたTシャツを着て臨んだ。
大谷との直接対決で、ダルビッシュは一投ごとに足を上げるタイミング、変化球をリリースするタイミングを少しずつ変えたが、これはボクシングの「ずらし」テクニックの応用だ。ステップとパンチの軌道を変えて相手ボクサーを翻弄するかのように、大谷のバットもまた空を切った。
今年はダルビッシュ家、山本家にとって特別な年でもある。2018年に胃ガンで亡くなった山本KIDの七回忌法要が9月に行われたばかり。ダルビッシュが山本KIDと初めて会ったのは、10年前の10月だった。その様子をダルビッシュは自身のブログで、こう振り返っている。
〈「お久しぶりです。聖子と仲良くしてもらってる事聞きました。あの子真面目なんで。手出すの辞めてもらっていいかな?ごめんね。俺の家族なんで」。この前に簡単な挨拶はしたことありましたが、あの神の子KID、山本徳郁とのファーストコンタクトがこれである。2014年10月ぐらいかな。自分も引き下がってはあかんと、「お疲れ様です!聖子さんとは仲良くさせて貰っています。自分としては今、凄く大事な人という位置づけであり、真面目に考えてます」と返したら一気に打ち解けて、すぐに仲良くなりました〉
今でこそベテランの風格が漂うが、若い頃はヤンチャなイメージだったダルビッシュが変わったのは、山本KIDと聖子夫人の影響だろう。10月7日付の本サイトで紹介した保護犬活動は義兄の活動を継いだものだし、山本KIDが準備していた若手格闘家の活躍の場「クレイジーリーグ」クラウドファンドがガン闘病で頓挫しかけたが、ダルビッシュの資金援助と遺族の尽力で、設立にこぎつけた。
手の施しようがないほどガンが進行すると、山本KIDはダルビッシュが手配した医療従事者と医療機材を乗せたチャーター機で、グアム療養を開始。グアムにはモルヒネや医療大麻を駆使して、全身転移したガンの痛みを和らげる有名なホスピスがあり、ホスピス近くのマンションで家族に見守られながら最期の時間を過ごしたとみられる。
ここまで義兄に金銭的、献身的に尽くした理由について、ダルビッシュはテレビ番組で次のように説明している。
「自分の人生を削って、誰しもが稼いでいる。人にお金を渡すのは、自分の寿命を渡すのと同じ。自分にとって、山本KIDさんという人が、それだけ価値のある人だった」
1人の人間、アスリートとしても勉強になったと評しているが、その集大成が地区シリーズ第2戦の投球内容だ。
2年前のプレーオフにも義兄Tシャツに腕を通したが、この時は24年ぶりのリーグ優勝決定シリーズに進出した。勢いのあるパドレスが有利に見えるが、願わくば第5戦までもつれ込み、再びドジャースタジアムで山本由伸とダルビッシュの投げ合いを見たいものである。
(那須優子)