豪快なゴールでサッカー日本代表を何度も勝利に導いた久保竜彦は、一歩間違えれば「存在しなかった」かもしれない。サッカー選手になるまでの紆余曲折を、前園真聖氏のYouTubeチャンネルで明らかにした。
そもそも久保氏は少年時代、サッカーよりも野球に夢中で、巨人に入りたかったという。ではなぜサッカーを始めたのか。理由は想像をはるかに越えるものだった。
「小学校4年生の時、友達とブランコみたいなので遊んでたら(事故で)左手の小指が取れてしまったから、パカッてつけて。母ちゃんのところに行って、それから病院に行って。先生が最初は小指を取って、足の指をつけるって言ってた。皮1枚で繋がってるから、付けてもダメかもしれない。それでもいい、とりあえずって母ちゃんが言って縫ってもらった。1年ぐらいグローブはめられなくて、サッカー(を始めた)」
このケガがなければ野球を続けていたはずで、サッカーをやることはなかったと久保氏は断言した。
その後、アルゼンチンのマラドーナに憧れ、アニメ「キャプテン翼」が始まってサッカーにのめりこんでいった。中学校でもサッカーを続け、高校に進学しても続ける意思を持っていたが、
「頭が悪かったから(高校に行かずに)働いていたかもしれない」
ところが、だ。
「中学の担任の先生がむっちゃ熱い先生だったんです。俺らがずっとサッカーやっていたのを見て、こいつらにサッカーをやらせた方がいいんじゃないか、みたいな感じになって、高校を探してくれた。(高校の)練習に行ったら、監督が『お前、来い』と。『金がないのは誰だ』って言って、俺んちとあれとが金なくて『それはもう特待Aや』って」
こうしてなんとか高校に進学。サッカーを続けることができた。
高校で初めてちゃんとした指導を受けた久保はみるみる成長し、福岡県選抜に招集されるほどに。しかし、Jリーグのクラブから声がかかることはなく、大学に進学するつもりだった。ここでまたしても転機が訪れる。
「3年生の夏休みに監督が推薦してくれて、サンフレッチェのサテライトに練習に行かせてくれた。(高校の仲間と)2人で。12月にサンフレッチェが1枠空いてるって。サテライトの監督が『2人ともよかったし、余ってるなら取ればいい』みたいな。でも枠は1つ。名前もわからないし、あまり覚えてないみたいなことになって、背が高い方を取るということになったらしい。俺、一緒に行ったやつより、1センチか2センチ背が高かった」
ギリギリでのプロ入りだったと、久保氏は言うのである。
サンフレッチェ広島に入ってから、ミッドフィルダーやセンターバックなど、ポジションを転々とする。このままならFW久保竜彦は誕生しなかったが、
「(FWの)高木(琢也)さんがケガしてアキレス腱切れて、ってなった時にチームがFWを試していて、俺もそれで。初めてFWをやってみたら、ゴールを決めたりして、そこからFW」
FWにコンバートされると結果を残し、1998年にはトルシエジャパンに選出されるまでに。以降の活躍は誰もが知るところである。
もし指をケガしなかったら、熱い先生と出会っていなかったら、身長が2センチ低かったら、あの活躍はなかった。なんとも数奇な運命である。
(鈴木誠)