彼ほど幅広い層に愛された俳優はいなかったのではないか。都内の自宅で急死した俳優・西田敏行さんのことだ。10月17日午後、自宅のベッドで冷たくなっているところを、仕事のため迎えにきた付き人に発見された。76歳だった。
死の9日前には、人気ドラマシリーズ「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)の映画版「劇場版ドクターX」の完成報告会見に出席したばかり。芸能界に驚きが広がったのは言うまでもない。
若い人には「ドクターX」の印象が強いが、ドラマ「西遊記」「池中玄太80キロ」「翔ぶが如く」、映画「釣りバカ日誌」シリーズなど、ヒット作に出演。歌手としても「もしもピアノが弾けたなら」を大ヒットさせ、NHK紅白歌合戦に出場している。晩年は体調がすぐれなかったというが、最期まで仕事に恵まれた幸せな芸能人生を送ったといえる。とはいえ、
「デビュー当初は10年以上も俳優の仕事で食べられず、親の年金を借りて生活するほど。ほかの道へ進もうかと悩むこともあったそうです」(芸能記者)
が、俳優として生きることは、なかなか諦められなかった。小学生の頃から映画俳優を志し、中学を卒業すると故郷・福島から上京。明治大学農学部に進学したものの1日で中退し、日本演技アカデミーで芝居を学んだ。その後、青年座を経て、本格的に俳優の道に入る。それほど強い気持ちがあったのだ。先の芸能記者が振り返る。
「売れてからは、両親への感謝をたびたび口にしていました。実の両親ではなく、実母の姉夫婦だったのですが…。西田さんの実父は早くに亡くなり、残された実母が再婚したため、実母の姉が引き取って育てたのです。養父母は西田さんが実の子ではないのに、とてもかわいがったそうです。幼い西田さんが鼻水を詰まらせて苦しんでいると、実母はストローで吸って西田さんを楽にしてくれたとか」
養父母は、西田さんの俳優の夢への援助を惜しまなかった。そんな愛情に支えられたからか、西田さんはひねくれたり、売れてからも金に固執したりしなかった。売れる前からの友人をいつまでも大事にし、後輩にも気さくに接した。突然の訃報に涙した関係者は多い。