健康診断の結果を「健康」の判断基準にする人は多いことでしょう。中には「健康診断を受けているから大丈夫だ」と、あたかも健康診断が健康法のようになっている人もいます。
確かに健康診断は予防医学として意義のあることですが、過信してはいけません。なぜかというと、健康診断は健康状態を数値化して評価できる一方で、病気を事前に発見できないケースもあるからです。
最も代表的な例は、消化器官、胃袋、大腸の状態の見落とし。中でもいちばん多いのは、胃の異変を見逃してしまうことです。
というのも、私の病院にもよく、「健康診断では大丈夫だと言われたのですが」と言いながら、胃の不調を訴える患者さんが少なからず来ます。そして診察してみると、大きくて立派な「モノ」がある。
「1年前の健康診断では大丈夫だと言われたのですが、その頃はなかったのでしょうか」
患者さんにこう聞かれることも珍しくありません。しかし、迂闊なことを言えば訴訟になる世の中です。医者は「それはわからない」としか答えられません。
実は、そういう例が結構な数、あるのです。
つまり、健康診断の結果が正常であっても、正常なのは「今」だけであり、不調が続いたら診察を受けなければ意味がないということ。
ならば健康診断だけではなく、人間ドックも受けて受診回数を増やせばいい、と考える人もいるかもしれませんが、これでは健康によくありません。CTやレントゲン撮影をすると、微量とはいえ被曝するからです。厚生労働省も20歳以下の健康診断では、レントゲン撮影を勧めていないぐらいです。
さらに健康診断には、もう1つの弱点があります。それは、現代の科学レベルでキャッチできる情報しかつかめない、という点です。しかもつかめるのは数値化できる「だけ」の情報です。心や命に対する情報は、まったくつかめません。
「人間まるごとの健康」という観点から見れば、体だけの情報はごく一部。それで人間の全てを表しているとは思わないほうがいいのです。しかも現在の健康診断では、臓器と臓器の間を診ることもできません。
ですから、診断結果が全て正常値だったからといって、もろ手をあげて安心してはいけません。健康診断の結果にとらわれるのではなく、自分の体の不調をキャッチすることのほうが大切なのです。常に体の声を聞く、体の奥にある「命の声を聞く」と言いかえてもいいでしょう。
命の声を聞くためには、「攻めの養生」が不可欠です。「攻めの養生」の基本は、人生にときめきを持って、毎日を生き生きと生きることです。生き生きと毎日を積極的に生きていれば、些細な体調の変化にも気づきやすくなります。
ただし「生き生きと生きる」ことは数値化することができませんから、こればかりは自分で自分を評価するしかありません。
◆プロフィール 帯津良一(おびつ・りょういち) 医学博士。東大医学部卒、同大医学部第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、帯津三敬病院を設立。医の東西融合という新機軸をもとに治療に当たる。「人間」の総合医療である「ホリスティック医学」の第一人者。