自分の主治医から、
「集中治療室から帰れないかもしれない」
そう告げられた知人は、私を呼びました。死の間際でもニコニコとしている彼は私にこう告げました。
「運営しているNPOが軌道に乗りだしているのに、自分がいなくなるとダメになってしまいます。後任を誰かに頼みたいと考えたら、一番に先生の顔が思い浮かびました」
私はNPOのことをよく知らなかったから内容を質問します。そうすると、血気盛んにしゃべりだしましてね。
彼にとって「NPO」という存在は、生命エネルギーを高め続ける源だったのでしょう。志半ばで逝くことにひざまずくのではなく、「志」を私に託すことに「ときめいた」のだと思います。
その様子は、とてもこれから死のうという人間には見えない。それでも、話している時の心電図は波形がやたらと乱れるわけです。波形の異常な乱れは深刻な体調悪化の表れです。やはり病状は思わしくないということは明らかです。
私はこのまま話をさせるのもよくないだろうと思い、内容もわからないまま引き受けることにしました。
彼が亡くなったのは、そのわずか4週間後ぐらいのことでした。
息を引き取るまでに、私はNPOのスタッフと会い、いろいろと話を聞き、彼の情熱を知りました。
彼は間違いなく、自分の仕事に最後の瞬間までときめいていた。
そうすると、生前の年に数回しか一緒に酒を呑まないさりげないつきあい方が、うんと濃密に感じられるようになってきましてね。彼ともっと膝を突き合わせて呑みたかったな、そう痛感しました。
だから私は決めたんです。彼とあの世で会おうと。現世のつきあいをどこで引きずるかといったら、生き残った人が「あの世で会おう」と言うしかない。「あの世」という言葉を使わないと、どうしたって収まりがつかないわけです。
彼は、自分の胸を燃えたぎらせてくれることは全て取り組んで、生涯を閉じました。それが、生き生きと生きるということです。
彼の死は、いい死には「ときめき」が必要であることをあらためて私に考えさせることになりました。
仕事を引退したら花鳥風月を愛でて生きるのではなく、好きなことをどんどんやって、やっている最中にバタンと倒れる。
これが「攻めの養生」であり、「いい生き方」であり、「いい死」につながると私も思っています。
「死」とはもう一つの世界に行くこと。「虚空」という、魂のふるさとへの旅立ちです。「虚空」に着いたら、会いたい人が大勢そこにいる──そう考えるほうが「ときめく」でしょ?
私の胸を燃えたぎらせてくれるものは、仕事と原稿と晩酌です。仕事は大好きですし、書く仕事も、ありがたいことにたくさん注文が来るんです。だから、せっせと書く。楽しみの一つ。
けど、酒を呑む楽しみがないとはかどりません。
◆プロフィール 帯津良一(おびつ・りょういち) 医学博士。東大医学部卒、同大医学部第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、帯津三敬病院を設立。医の東西融合という新機軸をもとに治療に当たる。「人間」の総合医療である「ホリスティック医学」の第一人者。