2003年の日本プロレス界は、全日本プロレス社長の武藤敬司と新日本プロレス現場監督の蝶野正洋のまさかの絶縁によって、全日本&橋本真也率いるZERO‒ONE連合軍と、新日本&三沢光晴率いるプロレスリング・ノア連合軍の2大勢力の戦争になった。
しかし年末に異変が起こる。翌04年1月4日の東京ドームに向けて、新日本が武藤に出場をオファー。それも、武藤の恩師とも言える坂口征二CEOが直接交渉に当たったのである。
当時のプロレス界は苦しい状況にあった。大晦日にはボブ・サップVS曙、中邑真輔VSアレクセイ・イグナショフを軸としたK‒1の総合格闘技イベント「ダイナマイト」(ナゴヤドーム)、永田裕志VSエミリヤーエンコ・ヒョードルを目玉にした「イノキ・ボンバイエ2003」(神戸ウイングスタジアム)、桜庭和志VSアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ、吉田秀彦VSホイス・グレイシー、新日本所属のジョシュ・バーネットVSセーム・シュルトが注目のPRIDEが手掛ける「男祭り2003」という3大格闘技イベントの開催が決定して、プロレスの影が薄くなってしまったのだ。
この3大格闘技イベントに新日本の選手が駆り出されたのは、新日本が90年代後半からアントニオ猪木の強権発動で格闘技路線になり、K‒1&PRIDEと協力関係が生まれたからやむを得ないところ。
さらに東京ド―ムの裏では橋本真也、小川直也が中心となり、当時のPRIDEの運営会社ドリームステージエンターテインメントによる「ハッスル」がさいたまスーパーアリーナで開催されることになった。
こうした混沌とした中で、新日本はプロレス業界の盟主として何が何でも1.4東京ドームを成功させなければならない。1年前には武藤との絶縁を宣言した蝶野も「それは武藤選手の判断に任せるというかね。確かに武藤敬司の理念とか新日本を出ていった意地だとかは当然あるだろうし」と、態度を軟化させた。 武藤の参戦発表は12月14日。新日本は全日本の暮れの一大イベント「世界最強タッグ決定リーグ戦」終了まで発表を控えたのだ。
「坂口会長に直々に来られたらマズイぜ(笑)。やり方がズルイよなあ(苦笑)。でも俺が1.4に出るから、今度は新日本からこっちへ‥‥とかっていうバーター的な考えは一切ないよ。ただ坂口さんの説得の中で共鳴したのがプロレス復興、プロレスLOVE。俺が1.4東京ドームに出ることでプロレスに火がついてくれれば。その導火線になりたいっていうか」(武藤)
もうひとつ武藤が新日本出場を承諾した理由は、グレート・ムタの権利問題だ。全日本に移籍してからも武藤はムタに何度か変身したが、実は商標権は新日本が持っていたのだ。武藤が1.4東京ドームに出るのと引き換えに新日本はムタの商標権を更新せず、新日本の倉庫に保管されていたムタのコスチューム一式を武藤に返したという。
さて、注目のカードは蝶野&天山広吉VS武藤&ボブ・サップに決まった。
蝶野のパートナーにはハルク・ホーガンが内定していたが、左膝の手術後の経過が思わしくないために参戦が見送られ、チーム2000VSチームW-1のタッグ対決となり、IWGPヘビー級王者・中邑真輔とNWFヘビー級王者・高山善廣の王座統一戦に次ぐセミファイナルに組まれた。
「W‒1」とは、武藤が全日本の社長に就任して格闘家を巻き込む形で手掛けたプロレス・イベントだが、2回の開催で頓挫している。
「03年の心残りってことで、W-1がちょっと引っ掛かっているからね。相手のチーム2000って過去のnWoだからさ、踏み台にしてチームW-1をアピールしてやろうかと。あとは俺と蝶野の別れてからの2年間にどういう差が出ているのか、どう転んでいるのかを確かめに行く」(武藤)
一方の蝶野は「向こうがW-1というファンタジーファイトを見せるなら、俺らが掲げているストロングスタイルとの闘いになる。武藤とサップのチームにはウチのリングではファンタジーのファの字も出させない」と、現場監督ではなく〝黒のカリスマ〟の顔になって喧嘩モードに突入だ。
武藤と蝶野は2年ぶりに真っ向からぶつかり合い、勝利した武藤(サップが天山をフォール)は「今日が〝点〟なのかわかんないけど、俺はもう全日本の主だから、蝶野も新日本の主になって、そこでもう1回対等にやろうじゃねぇか」と蝶野にエールを送った。
メインでは中邑が高山を撃破して王座統一。その他にも1年2カ月前に退団してWJプロレスに移籍したがフリーになった佐々木健介、全日本からフリーになった天龍源一郎、パンクラス所属の鈴木みのる、ノアからはIWGPジュニア王者として杉浦貴が参戦するなど、オールスター戦のような豪華な内容になった04年1.4東京ドーム。
満員発表の5万3000人を動員してプロレスの底力を見せつけた。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
写真・ 山内猛