新日本プロレスは1985年12月6日、両国国技館で前田日明のUWFとの業務提携を発表。86年の新日本マットは、新日本 VS UWFの対抗戦を軸に展開されることが明らかになった。
全日本プロレスからブルーザー・ブロディ、越中詩郎、ケンドー・ナガサキを引き抜き、テキサス州ダラスのWCCWとの提携で、ケビン&ケリーのエリック兄弟の招聘に成功。さらに全日本とのUWF争奪戦に勝利して、いよいよ新日本の本格的な巻き返しの季節が到来したかに見えたが‥‥UWFとの業務提携から6日後の12月12日に、とんでもないことが起こった。
この日、宮城県スポーツセンターで藤波辰巳(現・辰爾)&木村健吾(現・健悟)と「’85IWGPタッグ・リーグ戦」決勝戦で激突することになっていた、ブロディ&ジミー・スヌーカが試合をボイコットしたのだ。
2人は上野駅で仙台に向かう新幹線に乗車したものの、レフェリーのミスター高橋が坂口征二副社長のメッセージを伝えたところ、汚い言葉を吐いて飛び出して、姿をくらました。
ブロディはこの年の3月に、ジャパン・プロレスと提携して日本人対決を主軸に据えたことに不満を爆発させて全日本から新日本に移籍したばかり。アメリカでも待遇を巡って各地のプロモーターと揉めるトラブルメーカーだった。
新日本に来てからも注文が多かったようで、現場責任者でもある坂口は「ブロディは、変にプライド高いんだよ。他の外国人を持ち上げるとヘソを曲げたり、試合するのしないのってギリギリに会場来たり」と、ぼやいていたものだ。
この日、東京では日本武道館で全日本の「’85世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦。そのために「ブロディは日本武道館に出現するのではないか?」という噂が流れ、日本武道館では各社がジャイアント馬場をマーク。週刊ゴングの全日本担当記者だった筆者がこっそり馬場に聞くと「ウチをダブルクロスして出て行った奴を使ったりしたら、俺が業界の笑いものになる。今日の会場に殴り込み? 奴にそんな勇気はないよ」という答えが返ってきた。
馬場の言葉通りにブロディが現れることはなく、最強タッグはスタン・ハンセン&テッド・デビアスが優勝。仙台ではブロディ&スヌーカの代わりにアントニオ猪木&坂口が決勝戦のリングに立ったが、藤波が師匠・猪木にドラゴン・スープレックスを決めて世代交代を告げる劇的な優勝を遂げ、ブロディ・ショックを吹っ飛ばした。
翌日の13日、水面下で思いもよらないことが起きていた。極秘裏に馬場と猪木が会談を持ち、お互いの弁護士の立ち合いのもとに選手の引き抜き防止協定を結んだのである。
この引き抜き防止協定は、日本人だけでなく外国人選手もどちらの団体に属するかのリストを作成して明確にした上で結ばれた。
その内容は①所属契約選手を相手方から離脱させ、さらには自己の所属選手とするなどの引き抜き行為はしない、②本協定期間中に、相手方の所属契約選手をいかなる名目でも自社主催の興行に出場させないことを約する。ただし必要がある場合には派遣出場を要請することはできる、③相手方の所属選手が契約を終了した後も相手方に優先的契約権があることを承認し、相手方から契約を締結しない旨の事前通告がある場合を除いて、契約の勧誘・交渉・締結はできないものとする、④本協定期間中に所属契約選手を追加または削除した場合は、遅滞なくその旨を相手方に通知する、⑤本協定の約定に違反した場合、相手方は本協定をただちに解除することができ、違反者に対して支払予定の契約金、年俸及びその他当該年度1カ年以内の交付金合計額の5倍に相当する違約金の支払いを求められるものとする、⑥本協定の存在及び内容は、お互いにとって機密事項であることを認識し、第三者に開示しない、というもの。
協定上、ジャパン・プロレスの選手は全日本、UWFの選手は新日本所属に区分された。
この極秘会談の2日後の12月15日に東京・池上本門寺で行われた力道山の二十三回忌法要では、馬場と猪木が力道山の墓前で握手。さらには19日の夕方には、ハワイに遠征していた猪木と坂口がアラモアナの馬場のコンドミニアムを訪れている。いずれも馬場と猪木の存在感をアピールするための絵作りと話題作りである。
この引き抜き協定はジャパン、UWFといった新たな勢力に対して、馬場と猪木のBI両巨頭が依然として日本マット界を支配していることを知らしめるものでもあった。
「協定を締結したことで、あの頃がウチと全日本の関係が一番いい時だったんじゃないかな。年が明けて86年の4月には統一コミッションを作ろうという話が具体化していたからね。ところが途中で余計な第三者が介入してきたことで馬場さんも猪木さんも嫌気がさしたのか、パッと引いてしまったんだよね」とは、坂口の打ち明け話だ。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。