全日本プロレスと連合軍を結成して新日本プロレスにとって脅威になった、ジャパン・プロレスは1984年夏の新日本クーデターから生まれた。事件収拾後にクーデターの首謀者だった、元営業部長の大塚直樹が新日本を退社した後に立ち上げた会社だ。
もうひとつ、クーデター騒動から誕生したのがUWFである。もともとは騒動で新日本を追われた猪木の懐刀の元取締役営業本部長の新間寿が「猪木の受け皿に」と計画した団体なのだ。
先発隊として前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬が送り込まれて84年4月11日に大宮スケートセンターで旗揚げしたが、来るはずだった猪木が動かず、責任を取った新間氏はプロレス業界からの引退を宣言。猪木に見捨てられた(?)前田は、引退していた初代タイガーマスクこと佐山聡、新日本から藤原喜明、高田伸彦(現・延彦)、木戸修を呼び込んで格闘技色の強い独自のスタイルを模索。
新たな格闘技シューティングを構築中の佐山が推進する、ショー的な要素を一切排除した関節技と打撃を主体とする妥協なき格闘プロレスはシューティング・プロレスと呼ばれて、熱狂的な信者を生んだ。
だが、理想と現実の狭間でUWFは崩壊の道を辿る。シビアなスタイルは興行数を見込めずに収益が上がらず、方向性を巡って佐山と前田が対立。孤立した佐山は85年10月、方向性の違いからUWFを離脱してシューティング確立に専念することを表明。11月25日にはUWFの事務所は閉鎖されて、活動停止となった。
この事務所閉鎖の直前の11月11日発売の東京スポーツに「UWFの若武者・高田が3団体に挑戦状」という記事が掲載された。要約すると「全日本、新日本、ジャパン‥‥どこのリングでも上がる。ダイナマイト・キッド、ザ・コブラ、タイガーマスク(三沢光晴)、小林邦昭さんと戦いたい。プロレスルールでもいい」という内容で、13日発売の同紙でジャパンの小林が「喜んで対戦させてもらう。シューティングでもプロレスでも、高田が戦えるスタイルでいい」と返答した。
こうしたアクションがある場合、すでに水面下で交渉があるのが常識。実際にUWFの浦田昇社長はキャピトル東急ホテルでジャイアント馬場と会って「全員で来てくれ」と要請されたが、会社幹部たちの「行かないほうがいいだろう」という判断で断りを入れていた。また、新日本では山本小鉄取締役審判部長が、大阪在住で当時の前田の後見人だった田中正悟を通じて交渉に入っていた。
小林が東スポで高田に返答した当日、東京・品川のホテルパシフィックで行われた、ジャパンの仲野信市の結婚披露宴に新日本時代の同僚・高田が出席。週刊ゴングで全日本&ジャパンの担当記者だった筆者も出席したが、高田に「ちょっと相談したいことがあるんですけど、都合のいい日にUWFの道場に来てもらえませんか?」と声を掛けられた。高田のことは入門した頃から知っていて、彼が新日本の若手時代に飲みに行ったこともある仲だった。
11月16日午後、東京・世田谷区大蔵のUWF道場を訪ねると、高田は意外なことを打ち明けてくれた。
「実は馬場さんから電話があってお会いしたんですが“面倒を見るからウチに来い”と誘われたんです。UWFは今、新日本とも交渉中で‥‥僕の個人的な感情としては、出てきた新日本に戻るよりも全日本に行きたいんですけど、新日本が全員を引き取ってくれるとなれば、自分だけ全日本に行くのは‥‥。どう思います?」と、高田は苦しい胸の内を素直に話してくれた。
私は「高田君のプロレス人生なんだから、悔いのない選択をしてほしい」とだけ言ったが、馬場が浦田社長に断られた段階で、選手との直接交渉に切り替えたことを知った。高田だけではなく、前田とも会っていたのである。
「UWFとして全日本に上がろうかって考えた時に、長州さんたちがいたんで、あの辺とドンパチやっていきながら、少しずつ全日本の若い奴を巻き込んでっていう方法があるかなと。スタン・ハンセンやブロディともドンパチやっていたかも(笑)。でも馬場さんと会って話したら“もう選手はいっぱいだから、若い高田と前田だけしか取れない。あとは申し訳ないけど”ってことで。で、バラバラになってもしょうがないから、UWFとの業務提携って形で契約しましょうっていうことで抵抗がありつつも新日本との話をまとめたんですよ」と前田は言う。
抵抗があったのはUWFの選手だけではない。新日本にも「何で出て行った奴らを受け入れなければならないんだ」という思いを持つ選手がいた。新日本UWFの戦いがギスギスしたのは当然のことだ。
12月6日、両国国技館。スーツ姿で藤原、木戸、高田、山崎一夫とリングに上がった前田は「この1年半のUWFの戦いが何であったかを確かめるために新日本に来ました」と挨拶。
翌年から日本プロレス界の図式は全日本&ジャパン連合軍新日本&UWF連合軍になった。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。