テリー デビューは18歳でしたよね。
五月 レコードを出したのは19歳ですね。15の時から歌手として舞台には出ていました。舞台というか、昔は「キャバレー」と呼んでいましたね。
テリー 芸能界に入ったのは、どういういきさつだったんですか。
五月 私の父が芸事が大好きだったんです。昼間はお肉屋をやって、夜は踊りを踊ったり、芝居をやったりしていた。母はそのことをまったく知らなくて、たまたま店のお客さんに「お宅の旦那さんは、夜はきれいな女形で、すごいですね」って言われて。それでバレたらしいんです。
テリー じゃあ、お父さんは美男子だったんだ。
五月 はい。ただ、母はそういう芸能が大嫌いだったんです。別れたいと思ったそうなんですけど、子供がいっぱいいましたから。
テリー 何人兄弟?
五月 8人兄弟。私が長女です。下に弟が5人、妹が2人いました。
テリー そんなにお子さんがいたら、離婚している場合じゃないもんね。
五月 だから母はそのために我慢して。終戦後間もなく、東京の映画館や娯楽施設が全部焼けた時、うちで芝居小屋を建てたんです。父親が座長になって。そこで歌舞伎のちゃんとした芝居をやったんですね。
テリー それはずいぶんと本格的。お父さんは演出家でもあったんだ。
五月 父はもともと俳優になりたくて、歌舞伎座へ入ったらしいんです。だけど結局、下足番しかやれなかったんですって。だから芝居が好きな仲間の6人ぐらいで一座を組んだわけです。私は6歳から踊りを習わされていました。
テリー そこがスタート地点ですか。そのあとに19歳で初めてレコードを出して、22歳の「おひまなら来てね」が大ヒットしたと。あの頃からモテたでしょう。
五月 いえいえ。子供みたいなものだったんじゃないですかね。
テリー いやいや。あの頃、世の中のお父さんたちは五月みどりを見て、ひっくり返ったわけですよ。かわいくて、きれいで、しかも色っぽくて。
五月 確かに若い人から結構なご年配まで、ファンの方の中にいらっしゃいましたね。でも、とにかく父が芸に厳しかったので、男の人とつきあうようなことは絶対にさせなかった。
テリー ということは、五月さんの初体験っていつだったの?
五月 ハハハハ。
テリー 大事なことですよ、これは。
五月 あのね、無理やりだったんです。いくつだろう、15か16歳ですね。何もわからない、そういうことも親に言えない頃でした。
テリー そうだったんだ。じゃあ、おつらいこともあったでしょう。
五月 普通のと違うんですよね。
テリー どう違ったんですか。
五月 ‥‥誰にも話したことないんですけど、変な趣味の人だったんですね。女性が1人でしているところを見るとか、おしっこをさせるとか。そういうことだったんです。親にも話せなくて、電車でポロポロ泣いていました。そういうことがあって、私は男性の存在がしばらく苦手だったんですよ。
テリー 不信感を持ちますよね。
五月 19歳の時に歌手の人に恋をしたけど、そういう過去もあってうまくいかなかったんですね。だから私は、恋愛経験が一切ないんです。