今年で第75回を迎える「NHK紅白歌合戦」は、性加害問題で締め出されていた旧ジャニーズ勢に復活の機運があったものの、またしても不出場。1977年から1979年にかけて3年連続で出場しなかった「冬の時代」以来の異常事態となった。
そんな旧ジャニーズ勢が紅白で息を吹き返したのは、1980年。前年のドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)に出場していたたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)の人気が爆発。田原は1980年に「ハッとして!Good」で第22回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、紅白は「哀愁でいと」で初出場となった。翌1981年には近藤が「ギンギラギンにさりげなく」で第23回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、紅白にも同曲で初出場した。
快進撃は続く。1982年はシブがき隊が「100%…SOかもね!」で第24回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞し、やはりこの曲で紅白に初出場している。
シブがき隊の元メンバー・布川敏和が「週刊新潮」に語ったところによると、紅白初出場について布川は「当たり前」だと感じていたようだ。なにしろ2年連続でジャニーズのアイドルが、レコード大賞新人賞から紅白初出場という流れ。布川がそう感じたのは当然だったのだろう。
ちなみに1983年もレコ大最優秀新人賞は野村義男を擁するロックバンド「THE GOOD-BYE」の「気まぐれONE WAY BOY」が獲得。紅白出場とはならなかったが…。
ところでシブがき隊をめぐっては、紅白にまつわる面白い話がある。初出場の1982年から5年連続で出場。4回目の1985年の紅白は「スシ食いねェ!」で出場しているのだが、実はこの曲、シングルとして発売されたのは翌1986年2月。発売前の楽曲での紅白出場には、どんな理由があったのか。
きっかけは1985年3月、薬丸裕英がテレビ番組のロケで転落し、大ケガを負ったことにある。シブがき隊のコンサートツアーは布川と本木雅弘の2人で行うことになったが、薬丸不在ではMCがもたないということで、時間を埋めるために急きょ作られたのが「スシ食いねェ!」だった。
当時、日本でも流行し始めたラップを取り入れ、歌詞にはルームサービスで食べていた寿司のネタを順に入れたのだった。
当初はライブで歌うためのものであり、レコード化はされていなかったが、ファンには大好評。1985年12月からはNHK「みんなのうた」で放送されるに至り、紅白での歌唱に至ったというわけだ。
とはいえ、薬丸はコミックソングを紅白の舞台で歌うことには葛藤があったようで、仲が良かったチェッカーズの楽屋で「俺達、スシですよ」と泣いていたという。
翌1986年の紅白は、シブがき隊は落選していた。薬丸は悔しがったが、布川と本木は「ようやく大晦日にゆっくりできる」と大喜び。年末からハワイへ飛んで羽を伸ばし始めた矢先、12月29日に急きょ、日本に呼び戻されることになった。
紅白に出場予定だった北島三郎と山本譲二が暴力団の新年会に呼ばれていたことが明らかになり、出場辞退。角川博と鳥羽一郎が代役に決まったが、鳥羽も同様に暴力団との付き合いを認めて辞退し、シブがき隊が「代役の代役」に立てられたのだ。
シブがき隊の紅白出場はこの年が最後となったが、田原、近藤、少年隊もそろって登場。以降、ジャニーズ事務所は黄金時代を謳歌することになるのだった。
(石見剣)