女性の敵は女性なのか。あの織田信長の一代記である「信長公記」に、世にも恐ろしい話が記されている。天正7年、京都の下京・場之町(現在の京都市中京区)で80人を超える大量の人身売買が行われていたことが発覚したからだ。
戦国時代は敵地に攻め込んだ際に捕まえた人間を売り飛ばす、人身売買が横行した。だが、その犯人が木戸番の妻、つまり女性だったというから驚きだ。木戸とは江戸時代、江戸や京都、大阪などだけでなく、多くの城下町で設けられた門のことだが、織田信長が統治した時代にはすでに、この木戸が存在していた。
木戸は盗賊や不審者通行、逃走を防ぐなど、町内の治安を維持するための門で、夜間は閉鎖されていた。どうしても通行の必要がある場合は、木戸番がチェックの上、木戸の左右にある潜り戸を通るのが通常だった。
通常、木戸番は木戸のそばの番小屋に住んでおり、家族と一緒に生活する者もいた。住んでいるマンションの管理人のようなイメージで、場所によっては夫婦で住み込んでいるケースもある。
女性の場合、男性の管理人よりも、その配偶者である同じ女性に親近感や安心感を覚えるのは仕方がない。時代は違っても、当時の女性たちも同じような感情を抱いたに違いない。
その感情を逆手にとって悪用したのが、冒頭で書いた人身売買だ。だが木戸番の妻が女性たちをどんな手口で誘拐し、売り飛ばしていたのかは伝わっていない。
確かに当時の木戸番の生活は苦しかったようだ。町内で支払われる木戸の維持費だけで生活するのは難しく、生活用品などを売って生計を立てていたようである。とはいえ、人身売買に手を染めるのは異例だ。
この木戸番の妻を逮捕したのは織田信長の家臣、村井貞勝だった。貞勝は信長の信頼が厚く、のちに織田政権下で京都の守護や朝廷、公家に関する政務を司る役職の京都所司代となっている。宣教師のルイス・フロイスが「都の提督」と称したほどの人物で、その貞勝の取り調べに対し、木戸番の妻が「今までさらって80人ほど売った」と告白したため、即座に処刑されたという。
貞勝は天正10年(1582年)に起こった本能寺の変の際、本能寺の向かいの自宅にいたが、即座に信長の嫡男・信忠がいた妙覚寺に駆け込んだ。その後、二条新御所に立てこもって明智勢と戦い、討死している。
(道嶋慶)