みのもんたさんが亡くなった。全盛期には16本もの担当番組を抱えていた、モンスター司会者だ。「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS系)や「秘密のケンミンSHOW」「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ系)など、記憶に残る名番組を世に送り出した。だがそんな中で、唯一の「黒歴史」といっていい番組がある。それが1998年10月から1999年11月まで放送された「愛する二人別れる二人」(フジテレビ系)だ。
みのさんが美川憲一とともに司会を務めたこの番組には、パートナーの不倫などで離婚が危ぶまれる一般人の夫婦が登場。結婚生活を続けるか別れるか、二択を迫られるという、ギリギリのトークドキュメンタリーだ。その場で大ゲンカを繰り広げるのが決まりな上に、その不倫相手がなぜかスタジオに登場するなど、もつれにもつれた泥沼バトルが展開された。
そのたびにみのさんが喧嘩を制止していたのだが、毎度毎度、そんなにうまいこと、離婚の危機に瀕している夫婦が見つかるのか、という疑問が持ち上がる。手に汗握る泥仕合は、まるで「台本」があるかのようだった。
その中で起きてしまったのが、出演者の自殺。番組リサーチャーが目をつけたのは、とある主婦A子さん。夫であるB氏との仲は良くなく、A子さんには浮気相手がいて悩んでいたことから、夫婦として出演を依頼。だが当然、B氏から出演を断られたため、ニセの夫役を用意して、A子さん、そしてこのニセの夫が「夫婦」として登場することとなった。
そして制作会社ディレクターから「思い切りモメて下さい」と指示された通りに、A子さんは振る舞う。放送後も番組カメラがA子さんを追跡取材したのだが、なんとこの後、A子さんは自ら命を絶ってしまう。遺書に「ヤラセ」が行われたと書き残されていたことから大問題となり、番組スポンサーが「打ち切らなければ降りる」と表明。わずか1年で番組は終了した。
「実はこの時の編成部副部長だったのが、現在のカンテレ社長・大多亮氏。中居正広氏の女性トラブルをめぐる会見では、株を上げたといわれますが…。たびたび『ヤラセ疑惑』が持ち上がるその制作会社に、番組作りを一任。複数の編成部員がそれに反対する建白書を提出するも、大多氏は『今回は目をつぶってくれ』と反対意見を黙殺する形で押し切りったといいます。その結果、悲劇が起きてしまいました」(フジテレビ関係者)
開始当初はタイトルに「愛する二人」とある通り、結果的にヨリを戻す夫婦も出演していたのだが、
「これでは面白くないと過激路線を提唱したのがみのさんだった、という話もあります」(前出・フジテレビ関係者)
いずれにしても彼が、テレビがアナーキーな時代の顔だったことは間違いない。
(魚住新司)