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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「新日本新体制!ユークスからブシロードへ」

 旗揚げ40周年イヤーの2012年、新日本プロレスは大転換期を迎えた。

 05年11月14日に株式会社ユークスの子会社となった新日本は90年代終盤からの暗黒時代を脱したが、12年1月31日にユークスがトレーディングカードの開発・販売を手掛ける株式会社ブシロードに新日本の株式100%を売却。新たにブシロードをオーナー企業とする新体制になったのだ。

 新日本の買収理由を「歴史があって、熱心なファンを抱え、コンテンツとしても魅力がある」としたブシロードの木谷高明代表取締役社長は「レスリング・カンパニーとして世界一を目指す。WWEを打倒したいと思いますので、尊敬しているビンス・マクマホンに勝ちたい」とぶち上げた。

 このブシロード新体制の象徴的存在になったのが、アメリカ修行から帰国したオカダ・カズチカだ。

 1.4東京ドームで鈴木みのるを撃破してIWGPヘビー級王座V11の最多防衛記録を樹立した、棚橋弘至の前に現れて「これからは逸材に代わってレインメーカーが引っ張って行きますんで、お疲れさまでした」と挑戦表明したのである。

 この日、YOSHI‐HASHIとの凱旋試合に勝利したものの、インパクトを残せなかったオカダは大ブーイングを浴びてしまったが、挑戦が正式決定するや、無関心だったファンが一斉にオカダに注目するようになり、1.29後楽園のタッグでの前哨戦では、オリジナル必殺技レインメーカーで棚橋をフォール。それまでの粗探し的な意地悪な視線は期待に変わった。

 2月12日の大阪府立体育会館におけるIWGP戦は、超満員6200人を動員。大観衆の中でオカダはレインメーカーを炸裂させてIWGP王座を奪取。24歳3カ月の若者の快挙は「世紀の大番狂わせ」としてレインメーカーショックと呼ばれた。しかし決してフロックではなかった。

 オカダがウルティモ・ドラゴン主宰の闘龍門でデビューしたのは16歳の時の04年8月。闘龍門でプロレスラーの基礎を作った上で07年8月に新日本に移籍、合宿所に住んで1からストロング・スタイルを学び、2年のアメリカ修行を経ての快挙であり、この時点でキャリアはすでに9年目を迎えていた。

 闘龍門時代、新日本の下積み時代を消し去る、レインメーカーというキャラクターに変身したのも功を奏した。「新日本プロレスに金の雨を降らせるレインメーカー」というキャラクターは97年に公開されたアメリカ映画「レインメーカー」の〝雨が降るように大金を稼ぐ弁護士〟にインスパイアされたものだ。

 16歳から経験を積み、メキシコのルチャ・リブレ、新日本のストロング・スタイル、アメリカン・スタイル‥‥あらゆる要素を取り込んだオカダがブレイクしたのは必然であり、時代の要請だったと言ってもいいかもしれない。その後、オカダがブシロード新体制の新日本を牽引していったのは周知の通りである。

 新日本が新体制になっても、全日本プロレスとの友好関係は変わらなかった。4月11日には新日本の菅林直樹社長と全日本の内田雅之社長(前年11年6月、武藤敬司の後任となる)が記者会見を行い、7月1日に両国国技館で両団体の創立40周年大会を共催することを発表した。

 5日後の4月16日には、全日本所属のBUSHIが新日本に1年間レンタル移籍することが決定して、5月の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」から新日本に参戦。その後、正式に移籍。現在もロス・インゴブレナブレス・デ・ハポンのメンバーとしてジュニア戦線で活躍している。

 7.1両国の40周年共催イベントは、40周年記念試合として組まれた武藤&天山広吉&小島聡VS矢野通&飯塚高史&石井智宏のように両団体混成のタッグマッチや棚橋VS真壁刀義のIWGP戦、秋山準VS太陽ケアの三冠戦など、それぞれの団体のカードが組まれたが、やはりファンが期待したのは対抗戦。中でも注目されたのは中邑真輔&オカダVS諏訪魔&近藤修司だ。

 中邑と諏訪魔は前年8.27日本武道館における東日本大震災復興チャリティープロレス「ALL TOGETHER」の6人タッグで激突。殺伐とした空気になったという経緯がある。

 そして何と言ってもファンが期待したのはオカダと諏訪魔の初遭遇。諏訪魔は「メッキを剝がす。実力は全日本プロレスというのは譲れない」と語り、闘龍門出身でオカダのコーチだった近藤は「あいつは最低の練習生だった」とバッサリ。ピリピリした対抗戦ムードが高まった。

 試合は諏訪魔が場外でイスや机を投げつけ、投げっぱなしのジャーマン・スープレックスやラリアットでオカダを攻め込んだが、オカダはキャラを崩さず、元師匠の近藤をレインメーカーで料理。両手を広げるレインメーカーポーズを決めるや、すぐさま諏訪魔が殴り掛かって阻止しようとするなど最後まで緊張感に満ちた戦いだった。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

写真・山内猛

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