全日本プロレスの社長に就任した武藤敬司が2002年11月17日に横浜アリーナで開催した「WRESTLE‒1」にZERO‒ONEの社長兼エース・橋本真也が友情出場、新日本プロレスの現場監督・蝶野正洋がフジテレビ中継のゲスト解説を務めたことで「3団体に分かれた闘魂三銃士が結束して何かをやってくれるのではないか!?」という期待が高まった。
果たして新日本12.10大阪で安田忠夫&柳澤龍志を退けて天山広吉とともにIWGPタッグ王座を防衛した蝶野が「2003年1月4日、東京ドーム、俺とけじめをつけなきゃいけない男がいるだろ。1.4に上がってこい、武藤!」とアピール。控室では天山も「武藤と言ったら、小島だろ。やってやろうじゃないか、来る勇気があるんだったらな」と、かつての盟友にラブコール。
こうした場合、水面下で交渉が進んでいるのが常。武藤と小島の1年ぶりの古巣・新日本への出場と新日本と全日本の交流再開は決定的と思われたが、武藤の答えは意外だった。
「1.4は結論から言うとNO。言いたくないけど、出られない事情がいろいろあるからさ。蝶野がWRESTLE‒1に来てくれたことには本当に感謝している。いつか返したいけど、それは今じゃない」と、きっぱり否定したのである。
蝶野発言はフライングではなかった。新日本から「大阪大会のリング上で武藤の名前を出す」という旨は伝わっていて、全日本のフロントは「名前だけなら」と了承していた。そして大阪の発言後、新日本の渉外担当取締役の上井文彦が全日本の渡辺秀幸と交渉開始。渡辺は、1年前までは新日本のマッチメーク委員会の長だった男だ。双方とも乗り気だったが、まとまらなかったのは武藤があくまでもNOだったからだ。
この事態に蝶野の口から「もう武藤敬司には期待していないし、今後は関わるつもりもない。タイミングが合えば出ると言われても‥‥武藤敬司とはもう来年もないよ、俺の中では」と絶縁宣言が飛び出した。
それでも「俺と武藤の世代は終わってるけど、天山たちの世代に壁はない」として、天山&小島のテンコジの一夜限りの復活は実現の運びとなり、蝶野&中西学との対戦が発表された。新日本のマッチメークを担当する上井は「全日本のフロントには本当に感謝しています。これで何とかカードを揃えることができました」と胸を撫で下ろした。
武藤はなぜ蝶野の呼び掛けを拒絶したのだろうか?
実はこの時点で武藤は、とても他団体に構っていられないほど切迫した状況に立たされていたのだ。
本来、武藤は馬場元子オーナーが所有する株を買い取った上で社長に就任することになっていた。ところが武藤のスポンサーの事情で、元子オーナーが希望する額を調達できず、株の譲渡がないままに社長就任。いざ社長になると、会社を維持していくためには当初の換算以上の資金が必要なことがわかり、途方に暮れたという。「WRESTLE‒1」を開催したのは、地上波テレビをつけるためなのはもちろんのこと、当面の運転資金を稼ぐためだった。
表面化しなかったが、02年の年末に武藤は元子オーナーに社長を辞任したいと申し出ているし、一部で全日本の経営危機説も流れた。
「このままだとノアを旗揚げした三沢光晴の二の舞になる」と危惧したのは、元子オーナーの側近の和田京平レフェリー。和田は武藤に後ろ盾になることを伝え、新役員になった渕正信、川田利明との連名で「武藤社長に会社の経営を全権委任しないならば、我々は辞職します」という旨の文章をハワイ滞在中の元子オーナーに送付。元子オーナーにとっては、思いもよらない身内の反乱だっただろう。
そして03年5月16日、元子オーナーが保有する全日本株70%が武藤に無償で譲渡され、全日本は真の意味で武藤体制になった。
こうした裏の動きとは別に、蝶野と武藤の関係が切れたことで、新日本と全日本は1.4東京ドームに小島が参戦しただけで交流は再び打ち切られた。
蝶野は前年02年5.2東京ドームに三沢が出場してくれた返礼として、ノア1.10日本武道館に出場して三沢とタッグを組んで小橋建太&田上明と対戦。
さらに新日本の5.2東京ドームでは蝶野VS小橋が実現し、夏のG1クライマックスにはノアから秋山が出場するなど、新日本はノアとの関係を強化した。
一方の全日本は、資金源の「WRESTLE‒1」は1.19東京ドームで打ち切りになったものの、その6日前の1.13大阪に橋本が参戦したのを機に、ZERO‒ONEとの対抗戦に舵を切った。全日本2.23大阪で橋本がグレート・ムタから三冠王座奪取。5月2日には新日本の東京ドームの裏でZERO‒ONEが橋本&小川直也VS武藤&小島をメインに後楽園ホールで興行を敢行して対抗した。
03年の日本プロレス界は蝶野&三沢VS武藤&橋本の様相を呈したのだった。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
写真・ 山内猛