2005年2月20日、新日本プロレスの両国国技館大会で実現した、新日本のIWGPヘビー級王者・天山広吉と全日本プロレスの三冠ヘビー級王者・小島聡による、史上初の2大メジャー団体のベルトを懸けたダブルタイトルマッチは、残り時間11秒の59分49秒に天山が脱水症状で昏倒、小島がKO勝ちするという壮絶な幕切れだった。
天山が小島に雪辱を果たしてIWGP王座を奪回したのは5月14日の東京ドーム。この大会にはノアから三沢光晴が参戦して藤波辰爾と夢のコンビを結成し、蝶野正洋&獣神サンダー・ライガーに快勝。全日本からは武藤敬司が出場して、1.4東京ドームの「アルティメット・ロワイヤル」で優勝したロン・ウォーターマンに勝つなど、オールスター戦的な大会になったが、観客動員数は3万5000人。不評だった1.4大会よりも1万1000人減となってしまった。
ノア、全日本の力を借りても、新日本の人気低下に歯止めをかけることはできなかったのである。
この東京ドームの前の3月31日には、坂口征二がCEOを辞任して相談役に。坂口は73年4月に新日本に移籍して副社長としてアントニオ猪木を支え、89年6月に参院選に出馬する猪木の後任として社長に就任し、新日本の経営を安定させた功労者だ。99年から会長、03年からCEOとして尽力してきたが、前年04年6月に社長が藤波辰爾から草間政一に交代した時点で、猪木にはCEOを勇退したい旨を伝えていたという。
さらに5月25日に行われた定期株主総会では、猪木が自らの権限で社長に据えた草間をわずか1年で解任して、娘婿のサイモン・ケリー猪木を社長にするウルトラ人事。1年前に社長から副社長に降格させられた藤波は取締役になった。
新体制が試されることになったのは、10月8日の東京ドーム。だがカードが決まらず「○○が決まった」「××が消滅した」と情報が錯綜する異常事態に。カードが出揃ったのは、大会5日前の10月3日という慌ただしさだった。
メインイベントは天山からIWGP王座を強奪した藤田和之が蝶野、元WWEのブロック・レスナーと同時に戦う、史上初の3ウェイマッチによるIWGP戦。その他、棚橋弘至&中邑真輔VS川田利明&安生洋二のハッスル軍との対抗戦、大谷晋二郎らのZERO‒1 MAX(橋本真也が旗揚げしたZERO‒ONEの後継団体)との対抗戦2試合、藤波&西村修VS長州力&石井智宏のリキプロとの対抗戦などが発表された。
大会前日の7日、後楽園大会終了後にはサイモン新社長が唐突に長州の現場監督復帰を発表。長州は現場責任者として90年代の新日本を黄金時代に導いたものの、猪木の格闘技路線に反発して02年5月に「あの人には感謝すらない」という言葉を残して退団した経緯があるだけに、このサイモンの英断は誰もが耳を疑うサプライズだった。
翌8日の東京ドームは、5月より3000人増の3万8000人を動員した。
長州は新日本退団後、03年3月にWJプロレスを旗揚げしたものの、経営不振によって04年6月に活動中止となり、同年夏にリキプロに移行。リキプロを拠点に単発で古巣・新日本、ZERO‒ONE、ZERO‒1 MAX、ハッスル、アパッチ・プロレス軍などにフリーとして上がっていた。10.8東京ドームのカード発表時点では長州は現場監督に復帰していないが、全日本とノアではなくハッスル、ZERO‒1 MAX、リキプロを起用しているのは明らかに長州の影響だ。
新日本のサプライズはこれだけではなかった。極めつきは11月14日の緊急記者会見。「新日本プロレスリング闘魂烈伝」やWWEをモデルとした「エキサイティングプロレス」などのゲームソフト開発・販売でプロレスファンにも知られていた、株式会社ユークスが猪木の保有する株式51.5%を取得、新日本プロレスを子会社化したことが明らかになったのだ。
夏頃から新日本の経営が破綻するという噂がプロレス業界内に流れ、11月末日がⅩデーとも囁かれていた矢先の電撃発表。その経緯についてサイモンは「9月頃にある会社が新日本の敵対的買収に動き出しているという情報を入手しましたが、買収期限の問題もあって、新日本プロレスとしてはこの緊急事態を自力で回避することができず。デジタルパートナーとしてタッグを組んでいるユークスさんに相談させていただきました」と説明。
これを受けてユークスの谷口行規社長も「日本最大のプロレス団体が敵対的な買収の危機にさらされているということで、それを阻止した結果を受けての発表です」と新日本の救済であることを強調。
時代の流れの中で、プロレス業界の盟主と言われた新日本プロレスが他業種の企業の子会社になったのは紛れもない事実。そして創設者であり、神として君臨してきたアントニオ猪木の手から離れたのである。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
写真・ 山内猛