いしだあゆみさんが3月11日に亡くなってから、1カ月ほどが過ぎた。この訃報を知った時はそれほどではなかったが、少し経ってから、ショックの度合いが意外に大きいことを知った。今も引きずっている。世代的な感覚が大きい。
いしだあゆみ(と呼ばせてもらう)の登場の仕方が関係しているだろう。「ブルー・ライト・ヨコハマ」を初めて聴いたのは1968年。中学生の時だった。歌謡曲の洪水の時代である。小川知子の「ゆうべの秘密」が68年、中村晃子の「虹色の湖」が67年だ。
歌のインパクトもさることながら、中学生が抱く異性への憧れの気持ちを、彼女たちがかき乱したのは間違いない。当時の私の年齢より年上の女性歌手ばかりだった。「お姉さん」に憧れる年ごろである。いしだあゆみは、その中でも特別な存在だった。
彼女が歌手から俳優へ転身していくひとつのきっかけが、ショーケンこと萩原健一と共演したテレビドラマ「祭ばやしが聞こえる」(1977年)ではなかったか。そう思えるのは、俳優としての代表作が以降、目白押しになるからだ。
2人の結婚は80年である(訃報では、事実婚だったとのこと)。
映画では「遠い明日」(79年)、「駅 STATION」(81年)、「野獣刑事」(82年)、「火宅の人」(86年)、「時計 Adieu l’Hiver」(86年)など。
テレビドラマでは「阿修羅のごとく」(79年)、「北の国から」(81年)、「金曜日の妻たちへ」(83年)などが続く。
特にショーケンが敬愛してやまない監督作品への出演が、映画で目につくようになる。神代辰巳、工藤栄一、深作欣二といった監督たちだ。いわば、いしだとショーケンは、映画で「共闘」を組んだかのような趣さえあった。
神代監督の「遠い明日」は、若山富三郎の愛人役だった。若山にしては、新聞社のオーナーという全く異色な役柄ながら、いつもと違った抑え気味の演技が圧巻であった。
だからずいぶん年下のいしだの方が惚れ込む様に、説得力があった。若山が別れ話を言い出した時、拒絶の意思が彼女の必死の表情からあふれ出す。忘れられない場面だった。
印象に残るという意味では、工藤監督の「野獣刑事」も負けてはいない。緒形拳扮する刑事と、泉谷しげるのならず者との間で、感情が揺れ動く役どころだ。男の勝手な仕打ちにひるまないが、離れられない業を抱える。
彼女が主演女優賞を総なめした深作監督の「火宅の人」では、緒形拳の後妻役だったが、以上の3作品のいしだは全くもって素晴らしかった。若山、緒形、泉谷が演じた役柄も大きかったかもしれない。身勝手で危なっかしく、まっとうな人生を歩むことなどできないダメ男ばかりだ。
いしだの演技には言いようのない切なさが、いつも刻まれている感じがある。破滅的な男に惚れる役柄ゆえだろう。長い髪に細身の体から、初期の歌手時代と共通している切ない趣があって、胸の奥を深くえぐってくるのである。
朝日新聞(3月30日付)の「声」欄に、こんな投書が載った(60代の男性)。小学2年生の時に亡くなった同級生が、最期に「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいたという。この歌は「友人との悲しい別れの歌にしか聞こえない」とあった。
彼女の映画の役柄にも、どこか悲しみに包まれたような印象がある。いしだあゆみさん。忘れられない歌、映画、テレビドラマの数々を本当にありがとう。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)、「昭和の女優 官能・エロ映画の時代」(鹿砦社)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2025年に34回目を迎える。