今年の映画界を俳優の活躍で見た場合、江口のりこの当たり年だと言われている。とにかく主役クラスも含めて、出演作品が多い。
彼女の主演最新作「愛に乱暴」が公開されている。インパクトのあるタイトルである。
原作は吉田修一。吉田の小説で映画化された作品は「悪人」「怒り」「横道世之介」「さよなら渓谷」などがすぐに思い浮かぶ。来年公開では「国宝」がある。簡潔なタイトルの独自性もあるのか、映画人を触発する作品が目立つ。
映画「愛に乱暴」は、会社勤めを辞めて家庭を切り盛りする女性・桃子(江口のりこ)が、周囲と亀裂を深めていく物語だ。夫(小泉孝太郎)や近くにいる人たちとの関係性だけではない。偶然に出会う人たちまでを含めて、亀裂の度合いはじわじわと広がりを見せる。
同じ敷地内で別々に暮らす義母(風吹ジュン)との関係が実に微妙だ。これといって対立しているふうではないのだが、桃子が義母に何度もゴミ出しを呼びかけるシーンが目を引く。
ゴミ出しの声をかけて、すぐに義母が現れる時もあれば、そうでない時もある。この微妙な間(ま)が、どこか桃子の精神を刺々しくする感じがある。さりげない会話も、ぎこちなく聞こえる。亀裂の一端が、しだいに彼女の内面で醸成されているようであった。
いなくなった飼い猫、不審火、ゴミが散乱するゴミ捨て場、近所で見かける不気味な青年、譲ったバスの席を拒否する赤ちゃん連れの母親、ギスギスした態度の仕事先の元上司…。
桃子が遭遇していく日常の出来事が、彼女の内面に、より一層の亀裂の束を充満させていくと言ったらいいだろうか。それが彼女の中で、どんどん沈殿していくように見える。
その沈殿物が、夫のある告白により表面に出て形となり、過激化する。桃子の言葉、行動が一気呵成に荒々しくなる。あろうことか、チェーンソーを買い求め、ある目的から家屋を壊す。そこから彼女の過去も明らかになっていく。夫と義母は、なすすべがない。
桃子を演じる江口のワンマンショーであった。江口の演技が得難いのは、亀裂の沈殿(前半)と過激化(後半)の様を、ほぼ同一線上の演技の型で見せたことだ。特に冒頭から浮かぶ表情の歪み方が、江口の独壇場であろう。この歪みが最初から最後まで、彼女の顔にべったり貼りついている。
本作はいわゆる「切れた」女性を描いているのではない。あるきっかけがあって「切れた」ようには見えるが、亀裂のありようは、普段からさして大きくは変わっていないのだ。ここが今の時代に最も迫ってくるところだと言っていい。
何気ない人の言葉、行動の積み重ねが、対する人には耐え難い苦痛、亀裂の深い溝を生んでいく。当人でもその亀裂に気づかないこともある。映画「愛に乱暴」は、江口の演技によって、そこが重点的に描かれたのだと思う。
「愛に乱暴」とは「人に乱暴」という意味にも聞こえてきた。「乱暴」を受ける江口の演技が、そのことを淡々と、時に強烈に伝える。今の時代、多くの人が「乱暴」にあっている。そして「切れ」ずとも、静かに壊れていく。恐ろしい映画を見た。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2024年には33回目を迎えた。