若松孝二監督と、彼を取り巻く若者たちを中心に描いた「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」が公開されている。2018年に公開された「止められるか、俺たちを」に続く作品だ。
ちょっと説明しておけば、若松監督はピンク映画で名を馳せた。1960年代にデビューし、60年代から70年代の政治の季節と相まって、当時の若者たちの熱狂的な支持を受けた。
前作では若松プロダクション草創期の話が中心であったが、本作は若松監督が1983年に開館した名古屋の映画館「シネマスコーレ」(看板は「しねますこーれ」)を主要な舞台にした。監督は過去の経験から、心置きなく自身の作品を上映できる映画館を手中にしたかった。
もちろん、監督は映画を作る人だ。自身で映画館の運営は難しい。そこで白羽の矢が立ったのが、かつて都内・池袋の文芸坐に勤務したことのある、名古屋在住の木全純治(実名)だった。
映画は、監督と木全の出会いから、映画館の従業員として働く2人の男女、シネマスコーレの観客で、若松プロに出入りするようになる井上淳一(実名)へと話が移りゆく。本作の監督・脚本は、40年後の井上である。
当時、若松作品にのめり込んだ人ほど、本作を見ると知ったかぶりをしたくなるだろう。それは内々でやってもらいたい。本作の魅力は、もっと多岐にわたるからだ。
例えば、浪人生になった井上が通う河合塾だ。講師陣に全共闘世代が多かったというセリフが興をそそる。授業では一人の講師がビールを飲みながら、レーニンの言葉を引き合いに出す。教室内を埋め尽くした浪人生たちの笑い声、生き生きとした表情がとてもいい。
その講師の紹介により、河合塾はPR映画の製作を若松プロに依頼する。飲み屋で「製作費は900万円だ。ほかなら3000万円かかる」と豪語する若松監督に、近くで飲んでいた「噂の真相」の岡留安則(実名)が「ふっかけるからなあ」と話すシーンもある。
映画館運営の描写も目を引く。当初、若松監督や大島渚監督らの作品などを上映する名画座スタイルであったが、客の入りが悪い。そこで苦渋の決断だったが、ピンク映画に変更して業績が回復する。ときあたかも、滝田洋二郎監督らピンク新世代が台頭する時期でもあった。
ただ、成人映画もアダルトビデオに近くなっていくと、木全が異議を唱える。自主映画の時代がやってきたこともあり、「インディー(ズ)映画」(若松監督が不思議な発音をしていた)に切り替える。
こう書いていくと「(そのような話は)内々でどうぞ」という声も聞こえてくるが、時代と映画館の強固な関係性、結び付きは、今に一脈通じるところがあるだろう。80年代が荒ぶる時代の60年代、70年代と、当然というか意外というか、地続きであることもわかった。
「それがどうした」ということではなく、この現代には何が残り、何が希薄になったのか。それを考えてみるいい機会になったと思う。貴重な映画である。
若松監督は井浦新、木全は東出昌大、井上は杉田雷麟が演じる。製作現場では若松監督の怒鳴り声が響くが、みな優しい風情に見えるのが少々、意外だった。井上監督の資質なのかもしれない。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。