少し前の話になるが、今年の8月30日は、三菱重工爆破事件から50年目にあたった。新聞では比較的大きく取り上げられたが、テレビ報道やネット上では、あまり見かけなかった。
今年1月、その爆破事件が起きた翌年の1975年に連続企業爆破事件の容疑者として指名手配され、半世紀近くに及ぶ逃亡生活を続けていた桐島聡が亡くなった。70歳だった。最期に「桐島聡」と名乗った。
その桐島を主人公にした映画が2本、製作されている。監督は足立正生(タイトル未定)と高橋伴明(タイトル「桐島です」)。実年齢が80歳代半ばと70歳代半ばの監督。ともに自身が避けては通れない人物であるとおぼしい。
今回は、桐島を演じる俳優に注目してみたい。足立監督作品は古舘寛治、高橋監督作品は毎熊克哉である。意表をついた、見事な起用と言っていい。2人の演技の違いによって、作風もまるで違ってくると思われる。
古舘は飄々として、どこにでもいそうなおじさん風情に持ち味がある。知的でどこか謎めいた雰囲気も持つ。軽妙さもある。その特質が、桐島役でどのように表現されるか。
足立作品は回想を織り込みながら、桐島最期の4日間を中心的に描くという。となると飄々、軽妙さといった持ち味だけでは済まされる役柄ではないだろう。
おそらく死を覚悟したからこそ、名前を名乗った。それは「桐島聡」の全肯定なのか。あるいは、その逆なのか。
勝手な言い草を通せば、ここは作品の肝になろう。古舘は、傍からでは想像もできない人間の内面領域の表現者になる予感がある。
一方の毎熊は、いまだにデビュー時の「ケンとカズ」(監督・小路紘史)のカズ役が印象深い。ちょっと線の細さがあったが、本物の不良かとみまがうような存在感に目を見張った。今は減ったが、かつての映画界では「不良」路線でデビューする俳優は結構いた。
だがそこからは「強面」俳優の道を歩まなかった。大河ドラマなどを見るにつけ、硬質さの中に柔軟性が加わってきた。こちらのほうが、彼の持ち味ではないか。役柄のバリエーションが広がってきた。
高橋作品の脚本を手掛ける脚本家の梶原阿貴氏のSNSには、役所広司主演で評判になった「PERFECT DAYS」を意識したとあった。
淡々とした生活者としての、桐島の生き方であろうか。もちろん、彼は逃亡者でもあるわけだから、毎熊には難しい演技が必要とされる。見たことのない毎熊になるだろう。
重要なことを加える。革命の「大義」のために、人を死に追いやる。傷つける。その地点に、2作品はいかに踏み込むのか。2人の演技に「そこ」はどのように染み込むのか。注目どころである。
桐島聡を主人公にした2本の作品。ともに戦後80年を迎える来年公開だ。現代の日本、今を生きる日本人、そして世界の人に、強烈な何事かを示唆してくれることを期待している。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2024年には33回目を迎えた。