三宅 遠藤のことをいえば、稽古相手が部屋にあまりいないのに、出稽古に行かないね。師匠(追手風親方)はもっと稽古に出さないとダメですよ。
中澤 相撲がうまく、強いところもあるが、外国人と比べると、足りない部分がいっぱいある。
三宅 照ノ富士が強いのは日馬富士、宝富士、安美錦ら稽古相手がいっぱいいて、親方が目を光らせている伊勢ケ浜部屋だからですよ。
──旭富士は現役時代、親方泣かせの稽古嫌いだったのに、親方になったらガゼン、鬼のようですもんね(笑)。
中澤 その意味でいえば、素質に恵まれた力士に加えて、指導者の資質という環境面も必要だということですよ。
三宅 それにしても、今の力士は稽古しないね。本場所では立ち合いの変化が多いしね。太りすぎで、稽古できなくなっているんだ。
中澤 今の相撲は3秒以内で決着がつく取組が全体の3分の1もある。お客さんにしてみれば、俺たちは何を見に来たんだ、ということにもなりかねない。ふだんの稽古から見応えのある相撲を取るよう指導しなければならないのに、親方の考え方が「大きければいい、重たければいい」でしょ。だから、立っていられないほど太っているのもいる。僕は日本人力士のいちばん悪いとこはそこだと思う。
ところで、4年前の本場所中止は力士が起こした不祥事が原因だった。その翌場所は技量審査となったが、2場所も興行収入が入らなかったため、相撲協会は数十億の損害を被ったと言われる。
三宅 大相撲は戦争真っ最中の1945年6月に本場所をやって、終戦直後の11月にも開催しているのに。
中澤 困難な時期にも開催しているんですよ。その意味では、あの八百長スキャンダルは戦後最大の危機だったと言える。
──八百長は本当になくなったんでしょうか。八百長告発で知られる元力士に聞くと、「不自然な相撲」は今もあるそうですが。
中澤 今年の名古屋場所千秋楽の琴奨菊と照ノ富士の一番。琴奨菊が立ち合いの変化で照ノ富士を転がしたが、負ければ大関陥落という一番でももうちょっとしっかり取ってほしかった。
三宅 昔から大関同士で助け合う「大関互助会」というのがあったが、今でもあるのかもしれない。
中澤 あうんの呼吸でそうなったのかもしれないが、相撲協会は真剣勝負を売り物にしているんだから、許したらいけないと思いますね。そうじゃないと、下の力士に示しがつかない。
三宅 私は昭和20年代~40年頃まで、支度部屋で八百長工作の現場をたびたび目撃した。名前は言えないが、ある部屋の力士が別の一門の大関に負ける代わりに、さる横綱がその大関から星を1つもらう。そんな交渉をしていた。横綱の代理として、同じ部屋の格下の力士が支度部屋に顔を出した。そういう交渉を堂々としていたんですからね。
●三宅充:1930年、東京都生まれ。読売「大相撲」編集長を経て、相撲ライターに。戦後大相撲の生き字引的存在。大相撲の著書多数。
●中澤潔:1934年、広島県生まれ。報知新聞記者、毎日新聞記者として相撲や水泳などを取材。89年に退社してフリー。著書に「大相撲は死んだ」(宝島社新書)。