── 三宅さんが戦後見た強豪力士10傑をあげてください。
三宅 1位は大鵬。2位が白鵬。懐の深さ、足腰のよさ、抜群の勝負勘は大鵬にも勝るとも劣らず。3位は千代の富士。4位は小兵で若乃花と熱戦を繰り広げた栃錦。5位が初代若乃花。6位は貴乃花。4度目の全勝で15回目の優勝を達成した96年の9月場所には「双葉山に近づいた」と言われた。7位は現理事長の北の湖、8位は朝青龍、9位・東富士、10位に輪島といったところだ。
── では、戦後の名勝負と言うと‥‥。
中澤 比較的最近で言うと、千代の富士の連勝を53でストップした大乃国の相撲がある。88年九州場所千秋楽で、10勝4敗の大乃国が立ち合いで千代の富士の左上手を取った。大乃国の寄りを千代の富士は半身で下手投げを打って耐えるが、土俵際でもろ差しに。大乃国はかまわず寄って、最後は体を預けた。
── 貴乃花が2場所連続全勝優勝を果たし、横綱昇進を決めた94年九州場所千秋楽の曙戦も平成の名勝負と言われています。
中澤 互いに力を出し切って、死闘を演じた。あれは名勝負に入れてもいいでしょうね。立ち合い、先手を取った貴乃花は左まわしを引くと、一気に寄り進んだ。曙は気力でこれを残し、強烈な小手投げで反撃。目まぐるしい攻防の末、曙は最後の力を振り絞って前に出た。貴乃花はその圧力をかわしながら鮮やかな上手投げを打つと、これがみごとに決まった。
三宅 私が強烈に記憶に残っているのは、少し古いが、1951年秋場所12日目の東富士vs吉葉山戦です。これは勝負預かりとなったが、実は強豪10傑にも入れた東富士は高熱を発し、肺炎にもなりかねない状態だった。しかし優勝がかかっており、無理を押して出場、吉葉山との一番に臨んだ。結果は、寄っていく東富士を吉葉山が土俵際、巻き落としで同体取り直し。2度目は水入り。3度目、大きく肩で息をする東富士を吉葉山が寄り立て、土俵に詰まると、東富士が力を振り絞って右へうっちゃった。結局、これ以上やると生命の危険すらあるというので勝負預かりとなり、この場所、東富士は4度目の優勝を果たした。
中澤 僕はこの一番は現場で見ていないけど、少なくとも言えるのは、昔の力士は命をかけて相撲を取っていたということですね。
三宅 そう、そのとおり。それに比べると、今の力士は本当に甘いね。関脇時代の栃錦の稽古なんか見ていると、三番稽古に1時間くらいかけていた。
中澤 確かに栃錦vs若乃花戦などは、もう手に汗握る熱戦ばかりでした。
三宅 初代若乃花や大鵬の稽古は、最近の力士の稽古とはまるで違う。ともあれ、どん底の状態から相撲ブームとして盛り返したのはよくやったと言えるけどね。
中澤 これをもっと中身の濃いものにしてほしいですよね。
●三宅充:1930年、東京都生まれ。読売「大相撲」編集長を経て、相撲ライターに。戦後大相撲の生き字引的存在。大相撲の著書多数。
●中澤潔:1934年、広島県生まれ。報知新聞記者、毎日新聞記者として相撲や水泳などを取材。89年に退社してフリー。著書に「大相撲は死んだ」(宝島社新書)。