保留選手がほとんど出ないことも昨今の特徴。理由は下交渉が増えたことだ。
「球団も選手もお金でゴタゴタしているようなイメージをファンに与えることを嫌い、大物選手のほとんどが下交渉をしています。実質、そこで保留や決裂があるわけですが、下交渉を重ねて合意ができてから球団事務所に顔を出してサインしますから、表向きは円満一発サインに見える。実際は、トリプルスリーのヤクルト・山田哲人(23)もソフトバンク・柳田悠岐(27)も、日本ハムの中田翔(26)も、裏では一度、決裂していたんです」(球界OB)
山田は1億4000万円増の2億2000万円でサインしたが、これは歩み寄った金額。実は2億4000万円を求めて何度か決裂していたようだ。柳田も予定されていた契約更改日が1度延期になるなど、モメていた。3億円を要求していた中田も同様に、水面下では物別れになり、結局、4500万円増の2億4500万円でサイン。これは下交渉段階で、成績しだいで3億円に届く出来高払いを手にしていたからだった。
今や銭闘もいくぶんスマートになってきたが、かつて契約更改といえば、交渉の中で数々の事件や珍要求が連発していた。コンピュータ査定など導入されておらず、そのほとんどがドンブリ勘定という、いいかげんなものだったからだ。
特に南海、近鉄の在阪球団では、「保留すれば、次は必ずアップ」という法則があり、南海では「1度の保留で100万円アップ」などと言われていたものだ。
近鉄では契約更改の席にわざと印鑑を持ってこない選手もザラだった。だが、球団サイドも負けていない。球団関係者が回想する。
「金村義明(52)が『ハンコを忘れました』と保留しようとすると、『大丈夫。こちらに用意してある。どれでも好きなもの選んで押せ!』と、金村の名前の印鑑を3、4本突き出されたんです。93年オフに中継ぎ投手として初の1億円投手となった『ピッカリ投法』の佐野慈紀(47)は、口達者の交渉上手で知られていましたが、その更改では脇の甘い担当者が全選手の契約更改金額の書かれた書類を雑に机の上に置いていたため、わからないように佐野が盗み見。『○○選手は×円らしいですね。それなら僕は1億円でしょう』と大台を勝ち取ったんです」
何とも牧歌的な交渉風景だったのである。
大物ともなれば、交渉術も豪快だった。中日・星野仙一(68)は提示額が気に入らないとドンと机を叩く「恫喝交渉」。あの迫力で机を叩かれたら、球団フロントもタジタジで、1回机を叩くごとに金額が変わったとか、変わらなかったとか。
その真逆の手法を繰り出したのは巨人・中畑清(61)。
「土下座交渉ですよ。ひたすら『お願いします! 何とかもう一声!』と机に額をこすりつけんばかりに頭を下げてアップを嘆願した。フロントもその情念に負けてしまったんだとか。15年限りで引退した阪神・関本賢太郎(37)は04年オフ、『来年5月に2人目の子供が生まれるんです。何とかミルク代分を』と泣き落とし作戦。それでも球団提示は変わらなかったそうですが」(前出・球界OB)