96年から97年にかけ、2年連続でCM女王に輝いたのが鈴木蘭々(40)だ。そのキュートな個性が開花するまでは、意外に長い道のりだったという。
「髪を切ってから運勢が変わったと思いますね」
今もトレードマークのショートカットを指さしながら、蘭々は振り返った。モデルとしてデビューしたローティーンの頃は、髪のアレンジが利くようにとロングが求められていた。
「自分は自由人なので、指図されたくなかったんです。そのあとに事務所を変わり、そこから好きにやらせてもらいました」
モデル時代はCMに対してトラウマがあった。いくつものオーディションを受けるが、まったく成果が出ない。
「100本受けたら100本落ちる状態で、私はオーディションに受からないモデルだと思っていましたから。唯一、資生堂のニキビ用洗顔フォームに選ばれて、それを見たプロデューサーの方に声をかけていただきました」
直後にローソンの「それ行け! ローソン通り物語」(94年)が決まる。コンビニ店員という設定で、中山美穂や高嶋政伸らとのストーリー性あるシリーズ展開が評判になった。
「緑山スタジオに行ったら、街ごとセットで造ってあるんです。コンビニの店内も品ぞろえがすごくて、CMのロケって豪華だなあと驚きました」
バラエティに、ドラマに、CDにフル稼働となり、96年と97年はCM本数が連続でトップ。キャラクターを生かした名作はいくつもあるが、チョーヤの「ウメッシュ」(97年)もその一つ。好評に応え、いくつものバージョンが生まれたが、ダチョウとの共演編はインパクト大だった。
「追いかけられるダチョウの着ぐるみに人が入っているんですが、ダチョウの脚って『逆くの字』じゃないですか。つまり、後ろを向いたまま、目線も合ってないまま、全力で走る形なんです。あれは‥‥すごく大変そうだなって思いました(笑)」
当時、20歳を過ぎていたとはいえ、アルコールは苦手だったので、缶の中身は「梅ジュース」で代用していたそうだ。
そんな忙しさに身を置きながら、ふと、海外留学の夢が膨らんだのは99年のこと。レギュラー番組もいくつかあったが、思い切って社長に打ち明けた。
「ウチの事務所は社長1人に、タレントも私1人の規模。それでも『いいよ』って言われて、私のほうが『いいんだ!』って驚いたくらいです」
ニューヨークに約1年滞在し、ダンスやミュージカルのレッスンに明け暮れた。帰国後、多くの舞台から声がかかるようになったのは、正しい選択だったことを物語る。
ご覧のように見た目はボーイッシュな時代とまったく変わらないが、年齢的には40歳。結婚願望は「60歳くらいでできたら」とマイペースだが、今、CM女王時代を見つめ直すと、どうだったのか──。
「デビューから忙しくなるまで5年かかりましたけど、幸いなことにプレッシャーをかけてくる人もいなかったので、あまり思い悩むこともなく楽しくやれていたと思います」
女優業と並行し、自身の経験を生かした基礎化粧品ブランドを立ち上げ、さらに充実した毎日のようだ。