弘兼憲史が独自の目線で老後を語る週刊アサヒ芸能人気コラムの連載100回を記念して、今回はお笑い界の大御所、今は現役大学生でもある萩本欽一をゲストにスペシャルトーク。大学生活から死生観まで、笑いが絶えない「新老人」の真骨頂、ここにあり!
萩本 僕、今日は弘兼さんの「新老人のススメ」(徳間書店刊)を読んで来たんですよ。
弘兼 それはありがとうございます。
萩本 でも、弘兼さんってもっと乱暴な人のはずなのに、本を読むとずいぶん印象が丸いもんだから(笑)。ウソ書いてるんじゃないかと思って、今日はそのあたりを暴きに来ました。
弘兼 アハハハハ! 参ったなぁ。今日はお手柔らかにお願いします。
萩本 はい、こちらこそお願いします。
弘兼 萩本さんには3~4年前に、僕がやっていたラジオ番組のゲストに来ていただいたことがあって。
萩本 もうそんなになりますか。
弘兼 その間に萩本さんはなんと大学生になられて。学生生活は、どう過ごされていますか?
萩本 朝はだいたい7時半に起きて、8時15分に大学へ出かけて、9時から3時間ぐらい授業を受けるような毎日です。
弘兼 えっ、毎日!? 僕が大学生の頃なんて、テスト前にちょっと情報を集める目的でしか大学に行きませんでしたよ。語学や体育は出席を取りますから行っていましたけど。
萩本 でしょ? あなた方先輩がそういういいかげんなことをするから(笑)、文科省が気づいて昨年度から厳しくなったんですよ。今は「半期のうち3日以上休んだら、どんなにテストの成績がよくても単位はあげません」って言われます。
弘兼 へぇ~、今はちゃんとしているんですね。授業は、どんなものを受けてるんですか?
萩本 仏教学部ですから仏教の授業、あと英語、ドイツ語、体育、インターネットの授業とかですね。
弘兼 えっ、体育も!?
萩本 ありますよ。何かスポーツを1つ選ばないといけないんです。ですから先生に、「こんな年寄りに体育なんて、殺す気か」って言いましたけど(笑)。
弘兼 何を選択しました?
萩本 ゴルフです。いちばん動かなくていいから(笑)。
弘兼 アハハハハ、なるほど。
萩本 でも、こっちは生徒でしょ。打ったら球は自分で拾いに行かなきゃいけないんですよ。
弘兼 それは大変だ。
萩本 ですから、なるべく打たないようにするんです。先生は指導しながら学生全員を見て回ってますから、僕のところには30分に1回ぐらいしか回ってこない。そうすると授業は90分ですから、3発だけ打てばいい。で、打った球は隣の学生に頼んで拾ってきてもらう(笑)。
弘兼 楽しそうでいいなぁ(笑)。語学はどうですか? 英語はまだしもドイツ語なんて覚えられないでしょう。僕なんかもう単語1つも覚えてないですよ。
萩本 いや、でも覚え方をくふうすれば何とかなるんですよ。例えば、英単語ってカタカナの読み方だと覚えにくいので、僕は漢字でルビを振るんです。
弘兼 あ、それは僕も中学の時にやってましたよ。エルビス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」って歌の最初の歌詞を「湯煙 梨腹 波雲堂」って書いて「ゆえん なしばら はうんどう」って覚えてたんです。それと同じですね。
萩本 そう。そうやって漢字を1つでも入れておくと、その単語はすぐに出てくるんです。覚え方の作戦が立てられるものは、僕は難しいと思わないですね。
弘兼 すごいなぁ。
●萩本欽一(はぎもと・きんいち) 1941年東京都出身。66年に坂上二郎と「コント55号」を結成、たちまちお茶の間の人気者に。80年代には「欽ちゃんのどこまでやるの!?」などで視聴率「100%男」の異名を取るまでに。昨年4月に駒澤大学仏教学部に入学、大きな話題を呼んだ。
●弘兼憲史(ひろかね・けんし) 1947年山口県出身。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)勤務後、74年に漫画家デビュー。主な代表作は「島耕作」シリーズ、「黄昏流星群」など。