弘兼 駒澤大学の仏教学部に入学したのは、仏教に興味があったからですか?
萩本 いえ、全然(笑)。ある時、駒澤大学が僕を講演に呼んでくれたんですね。高卒の僕を大学に呼んでくれたのがうれしくて、その時、対応してくれた先生に「僕も大学に行こうかな」って言ったんです。
弘兼 へぇ~。
萩本 「何か学びたいことはありますか?」と聞かれたんで、「全然ありません」と答えたら、その先生が、「駒澤大学は仏教の大学だから、どうせなら仏教学部に入ってもらえるとうれしい」って言ったので、「だったらそこへ行こう」と思っただけなんです。
弘兼 そんなに深い意味はなかったんですね。
萩本 ただ、僕の人生はうれしいと思った時に恩返しをすると、よい方向に向かうことが多いんですよ。だから、仏教学部の入学を選びました。
弘兼 入学から1年が過ぎましたけど、仏教に興味は出てきました?
萩本 これがまったく(笑)。でも、やっていくうちにおもしろくなるかもしれないですけどね。
弘兼 萩本さんの年齢で大学に行くって、どんな感じなんですか? 周りは、みんな孫みたいな年齢の学生ばっかりですよね?
萩本 年を意識することはほとんどないですね。でも、校舎の階段を上るのがすごく大変だから、階段の途中で立ち止まって休みながら、周りの学生に「階段を上るのって大変なんだ」って言うんですね。そうするとみんな気づいて、僕の背中を押してくれるんです。
弘兼 学生さんはみんな、優しいんですね(笑)。
萩本 僕が年を意識するのはその時ぐらいですかね。学生のみんなも、あんまり僕の年なんか気にしてないと思いますけど。
弘兼 それは萩本さんがお若いからですよ。記憶力も衰えてないみたいですし。
萩本 でも、授業のノートをとり始めたのは、大学に入ってちょうど1年たってからなんですよ。
弘兼 えっ!? じゃあ最初は授業を聞いてるだけだったんですか?
萩本 ええ、しかも聞いてたら職業病が出てしまって、頭の中で先生の話に全部ツッコミを入れてたんです。「ブッダが生まれたとたんに7歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して『天上天下唯我独尊』と言った」とか聞いても「バカヤロー、生まれてすぐしゃべるわけないだろう」とか「誰が7歩って数えたんだ、6歩かもしれないだろう」とか。
弘兼 アハハハハハハ!
萩本 でも、試験では先生の言ったことが問題として出題されて、黒板に書いてあることが全部テストの答え。それに気づくのに、1年かかりました(笑)。
弘兼 でも、いいですね。何年で卒業しなきゃいけないっていう制約も別にないんですよね?
萩本 そうですね。1年かけて勉強のしかたがわかったので、「これ、もう少しやったらもっとおもしろくなるんじゃないか」と思って、少しダブろうかな、と。今はだいたい6年ぐらいで卒業できればいいんじゃないかって思ってます。
弘兼 昔は、8年生とかいっぱいいましたよね。
萩本 ですから、学生たちに言ってるんですよ。「お前ら、親の金で行ってるからそういうワガママができないだろ。俺がいちばん優雅な大学生だ。こんなおもしろいところから、慌てて卒業することはない」なんてね(笑)。
弘兼 確かに(笑)。でも、それができるのは、萩本さんだからこそですよ。
●萩本欽一(はぎもと・きんいち) 1941年東京都出身。66年に坂上二郎と「コント55号」を結成、たちまちお茶の間の人気者に。80年代には「欽ちゃんのどこまでやるの!?」などで視聴率「100%男」の異名を取るまでに。昨年4月に駒澤大学仏教学部に入学、大きな話題を呼んだ。
●弘兼憲史(ひろかね・けんし) 1947年山口県出身。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)勤務後、74年に漫画家デビュー。主な代表作は「島耕作」シリーズ、「黄昏流星群」など。