07年、東国原英夫知事(当時・以下同)から直々に「宮崎親善大使」を任命された青島あきな(29)。宮崎の特産品・マンゴーに似たその胸は世の男性を魅了した‥‥。
「東国原さんが私の載っている雑誌のグラビアを見て、事務所に連絡をしてきてくれたんです。ああ、宮崎県出身でこんなコがいるんだみたいな感じで」
宮崎をPRする大使に拝命されるきっかけをそう語る。いい女には目がない東国原氏の面目躍如(?)というエピソードではあるが、そこからトントン拍子で話は進んでいく。
「ほどなくして、東京で会食をしようという話になって‥‥高円寺にあるお店でした。あっ、2人きりじゃないです(笑)。ともかく、PR大使はありがたい話ですし、うれしかったんですけど、どんなことをしたらいいかわからない。それで、東国原さんに聞いたら、『とりあえずなまっておけばいいよ』って(笑)」
もともと、宮崎なまりが強く、関西の人気番組「ジャイケルマクソン」(05年、MBS)などでは“ナマドル”とも言われていたのだが、その愛郷精神が彼女にとってアドバンテージになったわけだ。
「実際には地元でのイベントの司会とかCMなどが多かった」
という親善大使の仕事をきっかけに、関西ローカルにとどまっていた「青島あきな」の人気は全国区に。同時に写真集、DVDなども人気を博した。
ところが、13年3月をもってグラビアからの引退を突如宣言、芸名も本名の「大田明奈」にして、再スタートを切ることとなる。その理由は?
「腎臓結石にかかってしまい、やせたことなどもありますが、一番の理由は自分の写真集を見てショックを受けたことですね。えー、私のカラダってこんなにエロかったんだ! ヤバイだろみたいな(笑)。それまでは写真集を見ても、顔がかわいく写っているかとか、そういうところしか関心がなかった。男性目線では見ていなかったんです。でも、改めて見直してみて、みんなが何を求めているかがわかって‥‥私のカラダを見ていたんだって。そう考えたら『どげんかせんといけん(笑)』と思って、グラビア引退を決意したんです」
それまで、自分のカラダのエロさがわかってなかったんかい! とツッコミのひとつも入れたくなるが、その天然さも彼女の魅力であろう。そんな大田は現在、みずからはタレントとして一線を退き、事務所を設立。後進タレントの育成に情熱を注いでいる。
「『R-Village Girls』という4人組のアイドルユニットがあるんですが、メンバーのうちの2人が私の事務所所属なんです。もともとは宮崎の地元アイドルだったんですが『東京で勝負したい!』っていうことで上京してきた。今はライブを中心に頑張っているので、彼女たちのサポートができればと思ってます」
つい最近まで一線のグラビアアイドルだった大田だけに、タレントの気持ちはよく知っている。
「彼女たちは、お金もあんまりないし‥‥私も昔そうでした。だから、食事なんかに連れて行ったりしてます。ただ、食べ盛りだから結構大変です(笑)。あっ、そうそう、オッパイも大きくてステキなんですよ。アサ芸さん、どうですか?」
社長業が板につくのも近そうだ。