70年代のアイドルシーンは「スター誕生!」抜きには語れなかった。中3トリオ、ピンク・レディー、石野真子に岩崎宏美もいたが、15歳にして「美人歌手」と呼ばれた神保美喜(55)も印象深い。
──しっとりと落ち着いた雰囲気は、デビュー当時から不変ですね。逆に言うと、なぜ、フリフリのアイドルを目指したのか不思議な感じがします。
神保 もともとは女優になりたかったんですよ。ただ当時は今と違って、女優へのオーディションが見つからない。それで「スタ誕」に応募して、歌手から女優に進んでいけたらと思ったんです。
──みごと決戦大会で最優秀賞に輝き、76年3月に「はじめてのワルツ」でデビュー。同じサンミュージックの先輩にあやかり、キャッチフレーズは「桜田淳子の妹分」でしたが、まさか中学を卒業する年齢には見えなかった。
神保 デビューが決まって、新聞社さんとか挨拶回りをしますよね。すると、どこに言っても「15歳には見えない」とか「ハタチでしょ?」とか。中には「悪い意味では老けてるね」とも言われましたよ(笑)。
──さてデビュー後、念願かなってか、早い段階から女優へシフト。ドラマの「ふたりでひとり」(77年、TBS系)や、映画は「妖婆」(76年、大映)や「HOUSE」(77年、東宝)と続きます。特に驚きは「妖婆」で、まだデビュー間もない16歳ながら、しっかりヌードも見せつけた。
神保 サンミュージックとしても、新人をそういう映画に出したのは初めてのことでしたね。私は今井正監督から「どうしても」とご指名を受け、しかも、京マチ子さんと共演できる。腰巻き1枚で木に吊るされるシーンも、ためらわずにやれました。
──女優業と並行して、司会者としても活躍。特に「歌のワイド90分!」(82~86年、日本テレビ系)は、徳光和夫との名コンビで。
神保 打ち合わせの時間が長かったですね。徳光さんが「ズームイン!!朝!」が終わり、競艇に行く以外(笑)、ずっと一緒にいたような感じです。
──一部で「不倫関係では?」とも書かれました。
神保 ありましたねえ、単身でマンション住まいの徳光さんを、私が起こしに行っているとか(笑)。スタッフも大笑いしつつも、これを逆手に取って番組宣伝にしようかという人もいましたよ。
──そして衝撃だったのは、93年に出版した「太陽伝説」というヘアヌード写真集。同じ年に離婚も重なり、このことが原因とも言われました。
神保 それはまったくの偶然なんです。出した時には夫も「きれいだよ」と言ってくれましたから。そうそう、最近、姪の男友達が「神保美喜」で検索すると、この時の画像が出てくるんですって。それを言われても私の姪は「そうよ、きれいでしょ?」って。さらに「あなたたち、おっぱい、おっぱいって赤ちゃんみたいよ」って言い負かすんですって。
──さすがは女優のファミリーです(笑)。
神保 今年はデビュー40周年なんですよ。ダメかもと思いながら番号札をつけて「スタ誕」で歌った日が、昨日のことみたいですね。