世界最高といわれる日本の漫画は、戦後に手塚治虫が切り開いたといわれるが、戦前にも優れた作品がたくさんあった。手塚に影響を与えた大城のぼる、謝花凡太郎や田河水泡の「のらくろ」などだ。陸軍猛犬聯隊で活躍する野良犬の黒吉が活躍する「のらくろ」シリーズは、昭和6年から11年も連載が続いた大人気漫画だった。その前、大正末期から昭和にかけては、一世を風靡した「正チャンの冒険」。この作品は朝日新聞社員の織田信恒が原作を書き、朝日新聞専属画工だった樺島勝一が絵を担当。「アサヒグラフ」で連載が始まり、「朝日新聞」に移ってタイトルも何度か変わったが、人気はすさまじかった。主人公が被る帽子は「正チャン帽」と呼ばれ、日本最初の漫画商品化グッズとなった。この漫画は、日本で初めて「ふきだし」を使った作品としても知られている。
「正チャンの冒険」はしかし、欧米漫画の模造品にすぎなかった。そもそも日本の漫画の原点は、明治維新以降に欧米からもたらされたものである。
近代日本漫画の祖と呼ばれる北澤楽天が、オーストラリア人のF・A・ナンキベルという漫画家から伝授された筆致を発展させたものが日本漫画の原点だ。北澤は日本初の職業漫画家で、漫画雑誌も創刊し名作も遺しているが、育て上げた弟子の数も多かった。「おトラさん」の西川辰美、「クリちゃん」の根本進、「冒険ダン吉」の島田啓三、「プッチャー」の横井福次郎など、日本の漫画界に光り輝いた著名作家のほとんどが北澤門下生。さらに日本初のアニメを作った下川凹天もまた、その弟子だった。
明治維新以降の日本漫画は欧米の物真似から発展してきたように思われる。正直なところ、私自身そう考えていた時期もあった。だが、その元となった欧米漫画の出発点を探ると、奇妙なことに、そこに日本が浮上してくるのだ。
ヨーロッパで原点とも思える作品を描いたのが、スイス人の作家であり政治家だったロドルフ・テプフェール(1799~1846年)。そのテプフェール漫画の原点となったのが、葛飾北斎の「北斎漫画」なのだ。
19世紀初め、ヨーロッパをジャポニスム(日本心酔運動)の嵐が襲った。ヨーロッパの歴史を眺めた時、ルネサンスや産業革命、哲学革命、市民革命はよく知られている。だがその直後にジャポニスムが猛威をふるったことは、意外と知られていない。
ゴッホ、マネ、ロートレック、ルノワール、クリムト‥‥誰もが日本の絵画を買い漁り、着物や工芸品で自宅を飾った。そうした中、初期に最も注目されたのが浮世絵であり、「北斎漫画」だった。欧米漫画の原点は北斎にあるといっていい。
江戸時代後期の画家・北斎の絵がヨーロッパで戯画として成熟し、明治維新以降に日本に里帰りして進化発展したものが日本漫画となった。日本の漫画が世界一であることは、いわば当然なのだ。
日本独自の大和絵は、雪原に舞い降りる一羽の鶴を描く中に自分の感情を押し込めるという。俳句は17音に情景と胸懐を仕舞い込む。日本漫画にもその繊細な技法が取り込まれている。なぜ大和絵が、俳句が、そして漫画が日本で熟成したのか。それは「ドラえもん」という、他人を思う漫画が生まれる必然が、日本の歴史風土に閉じ込められているためだろう。
志波秀宇(しば・ひでたか)<漫画 研究家>:昭和20年東京生まれ。早大政経学部卒。元小学館コミックス編集室室長。元名古屋造形大学客員教授。小学館入社後、コミック誌、学年誌などで水木しげる、手塚治虫、横山光輝、川崎のぼるなどを担当。先頃、日本漫画解説の著書「まんが★漫画★MANGA」(三一書房)を出版した。