さて、「世界初の漫画的表現」と呼ばれるのは、平安時代末期の12世紀に描かれた絵巻物「鳥獣人物戯画」だ。この作品では、ジャンプする猿や、坂を滑り落ちるウサギの体に斜線を入れて動きを表現している。単純な描写法だが、これを初めて描いた人は得意絶頂となったことだろう。こうした漫画表現の原点は、現代に受け継がれる。
昭和40年代、一時はライバル誌の「少年サンデー」に大きく水をあけられていた「少年マガジン」が猛追を開始した原動力のひとつが「巨人の星」という野球漫画だった。この作品中で主人公の星飛雄馬がライバル花形満を打席に迎えたところで、その瞳に炎が燃え上がるシーンが描かれた。瞳に炎を描いた最初の作品である。今では当たり前の表現法だが、当時としては衝撃的だった。それから1、2年後に「男一匹ガキ大将」で瞳の中に流線を入れて荒々しさを表現した時も、私は漫画編集者としてショックを受けたものだった。
昭和50年代に入り、夕刊紙「日刊ゲンダイ」に全1ページを使った成人漫画連載「やる気まんまん」が始まった際も、その表現法が話題になった。駅売りの新聞だから、成人指定はできない。中高生が買うこともある。セックス描写をどのようにしたらいいのか──。
作者の横山まさみちは男性器をオットセイに、女性器を貝(多くは二枚貝)に描くことで、より強烈で雰囲気をあらわに表現することに成功したのだ。
私が大学で漫画授業の実技指導中に、思いつきで学生に課題を出したことがある。「病院の地下室で遺体の死化粧をやっていた男遺体の声を聞く」といった内容の小咄を聞かせ、こう言った。
「この話のどこかを1コマ、または数コマの漫画に描きなさい。条件として、これまで誰も描いたことのない、世界初の新たな表現法を使うこと」
突然の難問に学生は苦労するだろうと思っていたら、十数分足らずで1人の女子学生が鉛筆線の絵を持ってきた。「蘇った遺体」の比喩として「丸めて捨てられた画稿が命を持って動き出す」という雰囲気を、稚拙ではあるが明らかに世界初の表現法で描いている。その作品に感動していたら、後ろに学生の列ができている。ふきだしのネームを生き物のように描いた男子学生もいた。60分の授業終了までに、クラスのほとんどが、世界初の表現法を提出したのだ。日本漫画の底辺は、まだ元気いっぱいな証拠である。
(次回からは、大物漫画家たちのウラ話を中心に、日本漫画の源流に迫ります)
志波秀宇(しば・ひでたか)<漫画 研究家>:昭和20年東京生まれ。早大政経学部卒。元小学館コミックス編集室室長。元名古屋造形大学客員教授。小学館入社後、コミック誌、学年誌などで水木しげる、手塚治虫、横山光輝、川崎のぼるなどを担当。先頃、日本漫画解説の著書「まんが★漫画★MANGA」(三一書房)を出版した。