「なめたらいかんぜよ!」は、流行語にもなった夏目雅子の名セリフ。脚本家・高田宏冶氏にとっても渾身の一筆だったが、その誕生には、思いもよらない「交代劇」が待ち受けていた。
──半世紀以上、シナリオを描き続けている高田氏にとっても「鬼龍院花子の生涯」(82年、東映)は特別な作品だったと思います。
高田 最初は大竹しのぶに鬼政(仲代達矢)の養女・松恵役をオファーしていた。ところが大竹は、東映の京都撮影所を怖がっていたし、当時の五社英雄監督の評判が悪かったこともあって、一向にOKを出さない。それで夏目雅子に話がいったということ。
──脚本家としては、その交代はどうでした?
高田 実は僕もピンチヒッターなんや。最初はベテランの野上龍雄さんに五社さんが頼んでいたけど、宮尾登美子の原作を読んで「気乗りがしない」と。僕は逆に土佐弁の魅力もあり、おもしろいなと思ったよ。
──当時は清純派だった夏目雅子が、養父に抱かれる場面もある役を快諾したんでしょうか?
高田 それどころか五社さんのところに行って、台本を尻に敷いて「絶対、私にやらせてくれないとここを動きません!」と迫ったそうや。まあ、五社さんの言うてることやけど(笑)。
──決めセリフの「なめたらいかんぜよ!」が大変な評判になり、夏目雅子の評価も急上昇しました。
高田 最後に鬼政に向かって「お父ちゃん、好きや」と言うシーンは、スタッフやカメラマンが泣いて撮影にならなかったくらい。その美しさは大竹しのぶじゃ成立してなかったやろな。五社さんは「大竹がなんぼのものじゃい!」の一念で撮ったらしいし。
──代役が功を奏したケースですね。さて、実録ヤクザ映画でも高田脚本の名作は多いですが、いわくつきなのは「北陸代理戦争」(77年、東映)でしょうか。
高田 松方弘樹が演じた主役のモデルが、公開直後に劇中と同じ喫茶店で射殺されてなあ。そもそも、これは「新仁義なき戦い」の4作目として予定されたけど、菅原文太が「もう『仁義』はいいよ」と。それで松方に代わった。
──さらにクランクイン直後、渡瀬恒彦がジープ転倒で生死のふちをさまよう大事故もありました。
高田 それで伊吹吾郎に交代。不思議な運命の映画やったね。
──再び宮尾登美子原作に戻りますが、女の戦いを打ち出した映画が多いゆえに、キャスティングの難航は多そうですね。
高田 池上季実子が評判になった「陽暉楼」(83年、映)も、僕と日下部五朗プロデューサーは秋吉久美子に交渉していた。ところが、いろいろ注文をつけるので、こっちがシビレを切らして「やめようや」と。それから「藏」(95年、東映)も、烈という少女の役が宮沢りえから一色紗英に代わった。
──すでにキャストの発表もあっただけに、宮沢りえの降板は騒動になりました。
高田 本来は2番手だった義理の母役の浅野ゆう子が、トップじゃないとイヤだと言い出した。そうなると宮沢サイドが「話が違う」と怒るのはしゃあないな。
──会見で浅野は「順列はあいうえお順かと思った」ととぼけていましたが、女優ならではのしたたかな物言いですね。
高田 残念だったのは米倉涼子が「茶々 天涯の貴妃」(07年、東映)の主演を降りて、宝塚出身の和央ようかに代わったこと。米倉はドラマの役柄同様、より悪女を演じたかったようで、そこが一致しなかった。
──降りるほうも、代わりに演じるほうも、役者とはプライドの火花を散らすことがよくわかります。