いい役のためなら、相手が誰であっても絶対に譲らない! そんな女優たちの、阿修羅のごとき交代劇をクローズアップする。
2度も大役を蹴ってしまった悲運のアイドルがいる。84年にデビューした沖縄出身の宇沙美ゆかりという子だった。
宇沙美はまず、「不良少女とよばれて」(84年、TBS系)のヒロインに内定したが、事務所が「アイドルに不良なんかやらせられない」と激怒。
このタイミングで伊藤麻衣子(現・いとうまい子)が抜擢され、20%近い平均視聴率を獲得する。
宇沙美は、続く「スケバン刑事」(85年、フジテレビ系)の麻宮サキ役も決まったが、同じテイストの映画「Vマドンナ大戦争」(松竹)を優先し、こちらも辞退。代わってヒロインを務めた斉藤由貴が大人気となり、宇沙美はほどなく引退している。
近年、女優の降板劇で物議を醸したのは、尾野真千子である。故・大原麗子の生涯を描いた「女優 麗子~炎のように」(13年、テレビ東京系)の主演を発表しながら、ドタキャンしてしまった。
「同時期にオンエアされたフジの『最高の離婚』とダブルブッキングしていたというのが真相。代役に当てた内山理名では視聴率も振るわず、制作サイドは告訴も辞さない構えでした」(スポーツ紙放送記者)
モデルになった大原麗子は悲哀を味わっている。自身が原作を探し当て、映画化を強く望んだのが「愛を乞うひと」(98年、東宝)だったが──、
「大原は当時、ギランバレー症候群などの影響で、顔のやつれ方がひどかった。とてもスクリーンでアップにできないと、大原の希望は却下されました」(映画ジャーナリスト)
主役を射止めた原田美枝子は、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など、対照的な活躍を見せたものだ。
意外な理由で役を途中で降りたのは八千草薫。山口百恵主演の「赤い疑惑」(75年、TBS系)で、百恵の母親役を演じた。重要な役でありながら、わずか6話で降板したのは「百恵スケジュール」のためと言われている。
「トップアイドルの百恵の過密スケジュールに合わせ、収録時間が左右される。さらに、向かい合っている場面では百恵の代役が背中だけ見せていることも多く、こうしたことがベテランの八千草には我慢ならなかった」(放送作家)
70年代ならではの混乱だろうか。
意外なキャスティングでいえば、竹下景子が「秘密戦隊ゴレンジャー」(75年、テレビ朝日系)の初代モモレンジャーという話もあった。本人も乗り気だったものの、番組スポンサーがロッテで、竹下は不二家のCMに出演中。テレビ界の慣例に従った形だが、もし実現していれば、「竹下さんに3000点」は確実だったはず。
最後は、あの阿川佐和子は「男女7人夏物語」(86年、TBS系)で女優デビューの可能性があった。
「女優じゃない人を1人、入れようということで、TBSのニュースキャスターだった私に話が来たの」
阿川が「さんまのまんま」で明かしている。
結局、阿川は出演せず、美和子役は芸能レポーターの小川みどりが務めることになった。実現していれば、阿川の「演じる力」がどれほどのものだったのか──。